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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

カテゴリ:ことばのこと( 586 )

転入 Versetzen

文部科学省「学校教員基本調査」の異動に関するデータ中、「転入」とある。

引くと、その定義は初等中等教育機関の場合、「高等学校以下の学校の本務教員から当該学校の本務教員として異動した者」ということなので、教育学者がおそらく馴染んでいる別の表現、「学校間転任」と同義と見てよい。あるいは学校関係者ならば、「学校を異動した」という表現がしっくりくるだろう。

同じことを指しているのに、用いている言葉が違っていることを不思議に、また興味深く思う。

by walk41 | 2019-07-16 08:19 | ことばのこと | Comments(0)

段落を作る Abschnitt zu stellen

前期の授業も終わりに近づき、学生たちはレポート作成にも追われている。

レポート課題を提示する際に、彼ら彼女らに毎回強調することの一つは、適切な段落を作ること、つまり、論理的記述を支えるかたまりとそれらのつながりを接続詞で明示するように、である。

勤務先では1割少しだろうか、以前、関西の「有名私学」で非常勤講師をしていた経験では4割ほどの学生が、段落がまったくないか僅かしか見られないレポートを出してきた。私の読み方が拙いのだろうか、これは内容以前の問題で、「私のレポートは読まなくてもいいよ」というメッセージにすら見えるのだけれど。

適切な段落を構成するなど、小学校の時に教えられているはずだし、何より将来、教員として働くのならば、満たさなければいけない条件かと思う。レポートは、小さいながらも一つの作品なのだから、より美しくあってほしいし、決して「やっつけ仕事」ではなく、残しておきたいと思えるものに近づけてほしい。

過日、ある授業で提出されたレポートを返却したが、学生たちは、クラスメイトによってたくさん、私からは少し、自分のレポートに赤ペンで書き込まれたコメントを、しばらく眺めていた。

どうせ書くのなら、こんな愛着を持てるレポートになりますように。





by walk41 | 2019-07-12 06:38 | ことばのこと | Comments(0)

すり替え Änderung des Themas

電車の吊り広告、 「年金2000万円問題ー年金は破綻しない」とある。他の見出しを見ても、プロパガンダ雑誌と思しきだから期待すべくもないけれど、これもいただけない。年金制度が維持されるということと、それでは暮らしが成り立たないということは何ら矛盾しない。1円でも出る限り、制度としては維持されているからだ。

制度として維持されているだけでは、安心の老後にはならない。そして試算すれば2000万円ほど足りなくなりますよというのが、麻生大臣が受け取りを拒否したという(こんなことが許されるのか)金融庁の報告書の趣旨である。

なのに、「年金制度が立ちゆかなくなる」なんてことを言っていると仮想敵を作り、「そんなことはない、年金制度は維持されるぞ」という構図を作っているのが、この見出しだ。欺瞞である。

「老後のためにいっぱい貯蓄をと焦らなくても大丈夫」なのかどうかが問題であり、それができないのならば「安心の年金」とは言えないという指摘にどう応えるかが求められているのが、今の構図である。にもかかわらず、こんな子どもだましの見出しが堂々と躍っているさまは、まさに悲劇的だ。このすり替えに気づかないだろうと、宣伝を目にする人は馬鹿にされているのだから。


by walk41 | 2019-07-06 15:27 | ことばのこと | Comments(0)

変わらない「校内研究」 unveraenderte "Forschung in der Schule"

少し関心が遠ざかっていたのだが、改めて学校、とくに小学校で顕著な「校内研究」の様子を、各学校のHPに挙がっている資料から眺めている。

これらについて、まず一つ言うとすれば、「研究仮説」と銘打ちながら、その実はおよそそのようなものではないという状況が、今も変わらず続いていることへの驚きである。

九州のある小学校の2019年度の校内研究計画には、次のようにある。「4 研究の仮説 自分の考えを書く活動において、以下の指導の工夫を行えば、書く力を身につけ、それを相手や目的に応じて活用し、自分の考えを確かに表現できる児童が育つであろう。①多様な表現方法を身につけさせる指導の工夫 ②習得と活用のつながりを意識した単元構成の工夫」

このような論理的でない文章を書いている学校が、どのように児童に言語教育をしているのかわからないけれど、これを同義反復のおかしな文章だと思わないほどに、学校現場はルーチン化、あるいは疲弊しているのだろう。

上記文面は次のように続く。

「5 研究の内容 

(1)「わざ」(この学校では、モデル文を参考に、書くことについて学年ごとに児童が身につけるべき技法、を指す-榊原注)を習得させるための指導・モデル文の中の「わざ」を使った文章を書く活動の設定

 (2)「わざ」を活用できる指導の工夫

    ・説明的な文章を学習材にし、「わざ」を活用した文章を書く学習過程の設定

 (3)語彙拡充の工夫

    ・かくぞうタイムの見直し

    ・読書タイムの充実や読書活動の推進

 (4)常時活動と日々の言語活動の充実

    ・「ことばブック」を活用した日記指導の工夫と充実

    ・他教科において「はばたきタイム」の位置づけと充実、書く活動の設定

私の見るところ、つづめれば、「文章がちゃんと書けるように指導すれば、書けるようになるだろう」である。まあそうだろうね、「朝にごはんを食べたら、朝ご飯を食べたことになるだろう」と同じだから。同義反復である。

同義反復のスタイルを採る限り、検証のしようはない。「Aをすれば、Bになる」という形式は、ABの両者が別物であることが前提だからだ(ちなみに、この両者の距離が離れており、かつその関係が検証されれば、「いい研究」になる)。

しかも、「教員による指導」と「児童の能力の獲得」は因果関係ではなく、相関関係である。学習塾などで既習の児童がスムースに文章を書けることで、教員の指導がやりやすいこともあるのだから、上記のAが教員であることをそもそも前提にできない。なのに、「何となく」教員側が影響を及ぼすことになっている。学校はなぜこれを前提にするのか、わからないことなのに。

にもかかわらず、上記のような奇妙な文章がインターネット上に公開されているという悲劇。こうした状況を指導主事や教育委員会はどのように捉えているのだろうか。学校教育の謎である。




by walk41 | 2019-06-26 08:14 | ことばのこと | Comments(0)

「最低でも…」 mindestens...

およそ上品なことではない、愚痴である。

ある会議のことで、教育委員会の指導主事と電話で話した。事前打ち合わせをしたいと言われたので、その日程の調整をするべく話していたのだが、打ち合わせにどれくらいの時間を要するかが伝えられなかったため、こちらから尋ねると、「最低でも、1時間は」と返ってきた。

この一言で、まだお会いもしていないこの方に感じていた、私の違和感が何によるのかがわかった気がした。場面にあった発言ではないのだ。

「できれば、1時間は頂戴したいのですが」と伝えるのが、依頼する側のものの言い方ではないだろうか。「上から目線」のつもりはない。物事をスムースに進めるためには、自分の言いたいことを少なくとも始めは、いわばオブラートに包んで表現した方が交渉上、賢明だと思われるのだ。まだ、相手とのラポールはおろか、顔さえ知らない状況なのに。残念なことに、相手に「厚かましい人だなあ」と思われて、わざわざ損をすることはない。

学力論でも非認知的能力(社会情緒力)という言い方を聞くようになっているが、これをどう捉えればいいのだろうか。これからの議論になるけれど、広義のメタ認知を駆使していないのではないかと思われるケースに出合うと、こうした能力の重要性が改めてわかるように思う。

お目汚しを失礼。

by walk41 | 2019-06-24 18:34 | ことばのこと | Comments(0)

大らかな綴り lockeres Buchstabieren

スペイン語でmóvil(携帯電話)という単語を見て、今更ながら気づいた。この場合、v と b って親和性があるなって。

なぜって、英語で携帯電話は、mobile phone、"b"である。かたや、動詞になると、move と "v"になる。スペイン語では、mover と "v"のままだ。

あるいは、日本語では、「モバイル」も「ムーブメント」も多くの人は「ぶ」と発音していることだろう。「ムーヴメント」と言えなくもないが面倒くさい(テレビを「テレヴィ」と表記する人もいるけれど中途半端だ。そもそも、tele-vision なんだから、間違っているし)。

ちなみに、ドイツ語で携帯電話は、Handy、「ドイツ語化した英語」Denglisch で、英語としては伝わらない、新語である。

だから、ことばを学ぶときは、「ちょっと似てる」とか「全然違うね」とか楽しんで学ぶように、指導者は勧めたらどうだろうか。「おおよそ、そんな感じ」という大らかな態度が、学びを促すんじゃないかな。

by walk41 | 2019-06-24 10:10 | ことばのこと | Comments(2)

ことばと性

英語には見られない、性がことばに色濃く投影されていることはドイツ語で初めて知ったが、それは名詞に、男性、女性、さらに中性のいずれかが当てはまること、また、名詞を形容する冠詞や言葉(形容詞)がその性に引っ張られることについてであった。

たとえば、食事は、das Essen と中性名詞なので、美味しい食事は、leckeres Essen、 同じ「美味しい」でも、der Käse(チーズ)は男性名詞なので、leckerer Käse となるように、語尾が異なる。

けれど、スペイン語の場合、名詞の種類は男性と女性と2種類のみ、また、おおよその名詞は語尾でいずれの性かがわかるから、その点ずいぶんと楽ちんだが、驚かされるのは、形容詞の表現が語り手や差し手(自身や相手)の性によって異なるという点である。

つまり、たとえば、「私は疲れている」は、ドイツ語ならば、Ich bin müde と話し手が誰であっても同じだが、スペイン語では、話し手が男性ならば、Estoy cansado, 女性ならば、Estoy cansada と語尾が異なる。「疲れていますか」と尋ねるときも、相手がいずれの性かを踏まえて言わなければいけないとされる。こんなルールがあるんだね。

もうご想像がつくように、相手がいずれか、あるいは第三の性かわからない状態のとき、もちろん、自身を男性か女性かで決めたくない場合は、どう表現すればいいのだろうか、ということ。きっと、スペイン語圏で議論がなされているだろうけれど。

言葉のルールを知る(文法を知る)とは必要でもあるが、その背景に流れる暴力的な側面にも自覚的でありたいと思う。

Meine Ueberraschung beim Lernen Spanisch ist dass es den Unterschied sogar beim Ausdruck um sich im Geschlecht gibt. D.h. wenn ich ein Man "ich bin muede" in Spanisch aeussern moechte, soll ich "Estoy cansado" sagen, underschied beim Fall der Frau "Estoy cansada". Wie Sie sich sicher das vorstellen werden, ist es total problematisch, wenn man weder Man noch Frau ueber sich kennt/meint, oder man kennt jemanden nicht, ob er maennlich, weiblich oder "Queer" merken kann. Damit verstehe ich das Sprachen Lernen hat auch gewaeltige Seite.

by walk41 | 2019-06-17 10:19 | ことばのこと | Comments(0)

わかっていなくても「できる」

昨今の学校教育業界の流行り言葉は、「知識・技能」に留まるものではなく、「何ができるようになるのか」だ、と喧伝されている。

そこには、「できる」ためには「わかる」ことが前提という理解がある。けれど、この前提はどのくらい正しいだろうか。

「できる」とは、環境に対して人間の身体を合わせていくことである。そこには、人間の負荷を減らすために生み出された道具を使いこなすことも含まれるだろう。

たとえば、暑くなってきたら薄着になる。服は季節に合わせて売り出されているお店で手に入れるから、自分に必要なのはそれを買うためのお金である。あるいは、世界中の人々とつながるのに必要なインターネット環境は、デバイスとネット接続によって満たされるが、これも購入するお金があれば足りる。なぜ繋がるのかの知識や理解は、利用者の限りまず要らない。同様に、移動するには電車やバス、クルマ、飛行機と人や機械にやってもらう。自分で歩ける距離は限られる。あるいは、食事は誰かが育てた食材を誰かに調理してもらってできあがったものが食卓に並ぶ。外国語は翻訳機に、計算は電卓に頼む。水筒を忘れても自動販売機やコンビニでペットボトルを買えばいい…。つまるところ、自分だけで「できる」ことはほとんどなくなっており、「できる」と思っていることの大半は、自分以外のひとやものの助けを得て初めて可能なのでは。

ならば、こうも言えるだろう。「できる」よりも「わかる」ことの方が大事だと。なぜなら、わかっていれば先々、できるようになるかもしれないけれど、できることに傾斜すると、わかっていなくてもできることに包囲されて身動きがとれなくなるのだから。

「できるとわかるは別物。わかっていてもできないことはある」という見方だけではなく、「できることはわかることを軽視することでもある」とも立論できないだろうか。





by walk41 | 2019-06-06 17:49 | ことばのこと | Comments(0)

さりげない言葉 gleichgueltige Worte

学校教員として保護者にどう向き合うべきかについて、現職教員を長く経験された方の講義を聴く。

その中に、次のくだりがあった。曰く、保護者に会った際には、「お忙しい中、お時間を作っていただき、ありがとうございます、といったさりげない言葉が大切です。」

これが「さりげない言葉」なのか、丁寧に過ぎると言ってもいいくらいではないか、と思ったのは、はたして私だけだったのか。驚かされた。

by walk41 | 2019-06-06 17:36 | ことばのこと | Comments(0)

変更に賛成です。 Ich gebe fuer diese Aenderung zu.

京都新聞、2019.6.4付、「障害」の表記を「障碍」に変えるように訴える豊田徳治郎さん(84歳)の記事を読んだ。

「岩が旅人の行く手を妨げる」意味である「碍」をつかって、障害/障害者から、障碍/障碍者へと表記の変更を求める活動を、20年近くなさってきたのだとか。その結果、国の文化審議会国語分科会で議論されるに至ったという。大変な苦労がおありだったことだろう。

改変にまったく同意である。漢字の簡素化に伴って「障害」とされるようになったのだから、「障碍」に戻せばいいのだ。

一部の行政用語に見られる「障がい」は、小学校などで見られる「まだ習っていない漢字は使わない」ルールがもたらす悲劇「どく書」と同じで、きわめて中途半端である。どうしても漢字を使いたくないのなら、「ハンディキャップ」などとカタカナ表記にすればいいのに。

障碍/障碍者と、表記を早急に変えることに賛成する。



by walk41 | 2019-06-05 14:35 | ことばのこと | Comments(0)



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