学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und Schulmitglieder

カテゴリ:ことばのこと( 512 )

意外と知らない母語 man weißt doch ihre Muttersprache nicht.

ちょっとスペイン語、いやカタルーニャ語を学ぼうかしらと思い、ある日本語のサイトを見ていたら、こうありました。

例えば、日本語で単に「話します」と言っても、主語がないので一体誰が「話す」のか相手に伝わりません。ところが、スペイン語では主語によって動詞が活用します。そのため、例えばhablar(話す)という動詞は、私が話す場合は「hablo」、彼が話す場合は「habla」」と活用することから、主語がなくても動詞だけ見れば誰の行動なのかを判断することができるのです。http://www.langland.co.jp/spanish/column/column05.php

いや、日本語で主語を欠くのはむしろ当たり前で、主語をつけるケースが少ないくらいではないかしら。「そう言ったやん」と主語が抜けていますが、自分が言ったのか、相手が言ったのかを取りちがえることはありません。関西弁なのか、「自分が言ったやん」が相手が言ったことを指す言葉までありますよ。

母語については馴染んでいる分だけ、分析的に捉えられないのかもしれませんね。

Weil ich ein bisschen die Lust, Spanisch, eher Katalunisch zu lernen habe, habeich eine Internetseite gesehen und finde ich diese Darstellung, d.h., „in Japanisch, wenn es ein Subjekt im Satz fehlt, kann man nicht verstehen, wer das sagt. Dennoch in Spanisch, geht es in Ordnung, wenn auch ohne Subjekt...“.

Nein. Es ist eher normal, dass es Subjekt im Japanischen Satz fehlt. Z.B. wenn man „so gesagt“ hört, versteht man, wer das so geäußert hat. Es passiert kein Missverständnis. Sogar in der Kansai-Gebiet Sprache, gibt es auch ein Reden, „du hast das gesagt“ bedeutet nicht du, sondern ich.

Wahrscheinlich gegen die Muttersprache können wir nicht so analistisch sein, weil wir uns daran schon gewohnt sind.



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by walk41 | 2018-07-07 16:43 | ことばのこと | Comments(0)

スキーム  Schema

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写真にある韓国旅行の土産、美味しかったです。袋には蜂蜜バターミックスナッツと書いてあるだろうハングル語ですが、私にはさっぱりわかりません。ところで、下段を見ているとカタカナで「フート」のように見えませんか。

こんな小さなことからも、「見たままのとおり」の事実などあるはずもなく、私たちは自身のスキーマ(枠組み)でものを見ていることがわかります。外国語を学ぶことの魅力とはこんな点にもあるのではないでしょうか。

Ein Mitbringsel von der Reise im Suedkorea, wie das Foto zeigt hat gut geschmeckt. Auf dem Paeckchen soll "verschiedene Nuesse mit Honig-Butter" auch im Koreanisch geschrieben sein, aber leider kann ich nichts lesen. Apropos, findet man in der Unterzeile ein Zeichen, als ob es Katakana waere, wenn er Japanisch lesen kann?

Auch aus diesem kleinen Fall, koennen wir verstehen, dass es nichts die Sache gibt, die man, wie er ganau sieht. Sondern richtig ist, man sieht die Sache mit eigenem Schema. Vielleicht besteht die Attraktivitaet auch im diesem Punkt, um die fremde Sprache zu lernen?

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by walk41 | 2018-06-27 09:45 | ことばのこと | Comments(0)

陳腐化

中央教育審議会答申「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」2012、を改めて読む。その中に、「…社会の急速な進展の中で知識・技能が陳腐化しないよう絶えざる刷新が必要であり、「学び続ける教員像」を確立する必要がある」という一文あり。

陳腐化とは新しい商品に対して古くさい、使い勝手が悪い状況を指すことばだが、「計画的陳腐化」という言い方もある。

生産者のなんらかの操作によって製品の寿命を計画的に短縮し、買い換えを促進させる政策
 ①スタイルの陳腐化 例)自動車のモデルチェンジ
 ②機能的陳腐化   例)携帯の多機能化
 ③素材物理的陳腐化 例)蛍光灯
(http://www.ritsumei.ac.jp/ba/~kondok/marketing/02/02_09.htm)

を引けば、陳腐化は必要なことでもあり、予定しなければならないものとも言える。

ならば、学校教員は陳腐化にどう臨むのだろうか。陳腐化しないように努力するか、既存の教員像ではもはや対応できないと、ビジネスモデルを変えるべき、つまり、陳腐化に抗するのではなく、陳腐化したことを受け入れ、新しい立場を作り出すべく歩み始めるべきか。

私は教員、teacher という役割はもう陳腐化しており、これからは、学習伴走者として、lerning accompany という役割に変わるべきと考えている。「教える」「命令する」「いばる」「暴力を振るう/暴言を吐く」ような人間はもう要らない。guide, navigate, care, といったことばにも近い立場こそ求められていると思う。

このための一つの試みが、ドイツでなされており「社会的な学校」(Gemeinschaftsschule)は注目に値すると、南西の州でフィールド調査をさせてもらっている次第だ(榊原禎宏「教える立場をひらく」教育をひらく研究会編『公教育の問いを開く』my ISBN, デザインエッグ社、2018、所収)。従来の教育スタイルなどもう古くさい、だから新しいモデルをと、陳腐化を受け入れていく方向こそ、必要ではないだろうか。

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by walk41 | 2018-06-20 11:16 | ことばのこと | Comments(0)

協同学習

以前の拙ブログで、「一緒」と「同じ」とは別物なのに、教員の頭の中では同義と自動翻訳されている場合があるのではないか、と書いた。「何となく」そう思ってしまい、その後、認知が修正されることなくむしろ強化されてしまうケースが、ままあるのではないだろうか。

家人と協同学習の話になった。授業の中で児童に話し合いをさせるのだが、「どんな発言」が話し合いの展開のきっかけになっているかという調査結果について、「誰が発言」したかがいっそう重要ではないか、つまり、発言の内容よりも発言者により影響されているのではないかという、ある人の指摘をもっともだと思ったというくだりである。

コミュニケーションがメッセージの内容だけでなく、同様にいやむしろ、メッセージの送り手と受け手との関係によってこそ受容が規定されるという指摘は的を射ているといると思う。また、これとは別に、何のためのコミュニケーションかがはっきりしないままに、形だけさせている(子どもからすれば、やらされている)場合が少なくないのではないだろうか。

話し合いや「協同」は、①一人では解決できない課題があって、それをどうしたものかと思案する中で、他者の力が求められる、あるいは、②課題が公共性を帯びており、一人で扱うべきではないという規範のもとで、他者との関わりをもつ、のいずれかだろう。はじめから、協同があるわけではない。一人でやるほうが楽しく、生産的なこともたくさんあるのだから。

なのに、学校に長くいるとそう思ってしまうのか、①児童・生徒はみんな平等なはず(平等であるべき、という規範論が、平等だという存在論にすり替わっている)、②話し合いをすれば、いいアイディアが浮かぶはず(「下手の考え休むに似たり」の発想を欠いている)、③話し合いをすると、みんなが参加するはず(一人では困る、みんなの問題である、という前提を吟味せずに)、と「はず論」に依拠して、格好だけやらせている、とは言い過ぎだろうか。

活動主義とも言うが、一見、元気で望ましいように見えるけれど、実は一部の(教師思いの義理立てする)子どもによる思いつき発言のオンパレード、多くの子どもはつまらないなあ、別のことしたいなあ、仕方ないなあという顔をしていないか、教師はよく観察する必要があるのではないだろうか。


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by walk41 | 2018-06-03 09:32 | ことばのこと | Comments(0)

「女子力」

「均等法」は解決策か(朝日新聞、20180529)の記事中、ケネス・盛・マッケルウェイン氏の語りに、自分の考察のなさを知らされた。

曰く「3年前、20年ぶりに米国から帰国して驚いたのは、「女子力」という言葉ができていたことでした。飲み会で料理を取り分けたり、字がきれいだったりすると、「女子力が高い」と言われる。女性は周囲に気を遣うべきだという意識の現れです。世界的な規範は、人を性や人種などの型にはめるのではなく「個人」として尊重する方向に進化しているのに、逆行だと感じました。」

なるほど。特定の想定にもとづく「女子」に近づくことが高評価を得るという仕掛け見抜かなければならないのだなあ。「男たるものは」「女のくせに」と同じだということにちゃんと気づいていなかった自分のあんぽんたんさに呆れる。

これを敷衍すると、「〜力」という言い方は、認知資源の消耗を避けるためか、十把一絡げに物事を捉える方向へと誘う、それこそ力があるように思う。束ねて捉えることの意義もわかるけれど、それで事足りたとしない「わからなさに耐えることのできる能力」(negative capability)をより養いたいと思う。あれっ、これも「〜力」の一つかしら。

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by walk41 | 2018-05-29 07:54 | ことばのこと | Comments(0)

ダブルスタンダード(二重基準)

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中央本線沿い、警報器や遮断機のない「第四種踏切」または「勝手踏切」とも言われるところを見た。

入るなというメッセージの一方、フェンスの間が空けられ、階段もつけられている。おそらく住民は日常的には通っているのだろう。だからこそ「観光客等の皆様へ」とあるのだと思われる。住民は別だよというメッセージでもあると読んだ。

ダブルスタンダードという言葉は、良くない意味合いでまま使われるが、この場合はこれでいいのかなとも思う。生活に馴染んでいる人が通る場合と、いわば一見さんの観光客が通る場合の危険度の違いを想定してもよいだろうから。

とまれ、鉄道と生活圏との共存はなかなか悩ましい。「こうした踏切はなくすべき」「すべての踏切に警報器、遮断機をつけるべき」のいずれにも行きにくい、白黒つけがたい例のひとつかと思う。

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by walk41 | 2018-05-24 10:03 | ことばのこと | Comments(0)

論文の効果?(そんな訳はないだろうけれど)

インターネットニュースで以下が流れてきた。小学校であだ名禁止や「さん」づけが広がっているというものだ(抜粋)。
ーーーー

千葉県内の公立小学校では、生徒間だけでなく、教職員が生徒を呼ぶ際に、「○○さん」と呼ぶように定めている。県内の小学校教頭が語る。

「教職員が生徒を呼び捨てにすると、生徒たちの言葉が荒くなることが予想されるためです。優しい呼び掛けをすれば、続く言葉も自然と優しくなりますから。子供たちの場合も教職員と同じで、できるだけ優しい言葉を使っていこうということです」

※週刊ポスト2018年5月25日号

ーーーーーー

以前、榊原禎宏「叱るときこそ丁寧にー教師の子ども呼称における賭け」(京都教育大学教育支援センター『教育実践研究紀要』12、2012)にて、次のように記した。

「…そして三つ目は、感情労働として教職を捉えれば、相手に丁寧に接することは、自身を落ちつかせるマネジメ ントにつながり、これと反対の状況、すなわち相手に乱暴に接すると、自分を操ることを難しくもする。つまり、 呼び捨ては引き続く表現と合わせて、自身をいたずらに興奮させ、また自分の乱暴な物言いに興奮した相手の感情に自分が影響を受けてしまうことで、セルフマネジメントを困難にする可能性を高めるのである。短い時間で の意思決定が職務上きわめて重要な教職において、冷静な業務遂行は必須ともいうべき条件だが、呼び捨てはこれを危うくしかねない。」(p.228)

いかがだろう。ともすれば呼び捨てが愛情表現や信頼関係の証しなどと評されるのに異議を唱え、呼び捨てが教員ー児童生徒関係のみならず、教員のセルフマネジメントにおいてもリスクを孕むことを述べていると思う。この点を踏まえた学校での取り組みがなされ始めている、と見て良いのではないだろうか。

もっとも、この論文が読まれて、なるほどと思われて、各地での実践へと連なっていったわけではまあないだろう。けれど、上のようなニュースはまずは嬉しい。ただでも葛藤や衝突と穏やかならぬ空気の漂いやすいのが学校と教室なのだから、その方向に棹ささないようにできることを探し、試みることはすぐれ重要と考えるからだ。

こうした試みが何を導くのか、「現場」からの報告を知り、また考えたい。


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by walk41 | 2018-05-18 06:35 | ことばのこと | Comments(0)

学校経営という言葉

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学校を組織や運営という文脈で議論しようとするときに、避けられない問題は、何を指して学校の経営というのか、ということだ。このことは、school management あるいはschool administration という英語はどの辺りの日本語に落ち着くのだろうかと、言い換えてもよい。

ある高校をお邪魔した時に、写真の表記を見つけて、とても興味深く思った。この英語の限りは、school administrationとは別の部門が学校にあるかのような意味に取れる。それも一つの考えだけれど、学校のmanagementやadministrationって、他にどんなことを指すのかな、と改めて思わされたことだった。

ちなみに、この教務室は、例えば関西では職員室のことである。

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by walk41 | 2018-05-18 00:04 | ことばのこと | Comments(0)

ベアドッグ

ベアドッグと聞いて何を思い浮かべられるだろうか。

信濃毎日新聞(20180518)の記事に、ベアドッグがすくすくと育っているとあり、読むと熊のような犬でもなく、犬のような熊でもない、熊を山に追い返すための、熊対策犬のことだった。微妙なネーミングだなあ。

隣には、戸隠神社に熊が現れたと記事があり、熊と人間との共存が大きなテーマになっていることがわかる。ところ変われば…である。

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by walk41 | 2018-05-17 08:49 | ことばのこと | Comments(0)

「だいたいそんな感じ」で学ぶことの重要性

この間の授業で、「基礎ができていないと応用ができない」のか「基礎が必要とは言えるけれど、あまりにかっちりしたものを求めると新しいアイディアが生まれにくいのではないか」について、学生たちと考えている。

私は、基礎や基本といものが、経路依存性(Path dependence)を多分にはらむ点で、普遍的な分類にもとづくものではないことから、あまりこれらに縛られるとマズイという立場をとる。基礎の集積としての「世の常識」なるものは、それほど長持ちしないと考えるのだ。

ところが、「そんなはずはない」と考える人の中には、長らくそうだったと思いたい気持ちが強すぎるためか、捏造する場合が出てくる。江戸時代、待ち合わせの時間に遅れたら大変な罪だったという妄想を描き、その「伝統」が今も生きていると説いたり、ここ150年間ほどの発明なのに、一人の天皇が使う元号は一つだけ、交代するときに元号が変わるのが「伝統」だと吹聴したり、と。

さて、基礎のことに戻り、「だいたいそんな感じで覚えるくらいがちょうどいい」ことを単語に即して考えてみよう。いきおい「正しい書き方」が求められる言葉の習得だが、たとえば、英語とドイツ語ではこんな対照になる(左が英語、右がドイツ語)。

愛:love ----- Liebe [vとb]

たくさん:full ------- voll [fとv]

古い:old-------alt[o とa]
新しい:new------neu[だいたい同じ]

ようそこ:welcome ------willkommen[lと m が1個か2個か]

神:god ------Gott[dとt、tが1個か2個か]

氷/アイスクリーム:ice -------Eis [同じ発音だが、綴りがぜんぜん違う]

強調:accent-----Akzent[cとK,Z]

こんなふうに、必ずしも法則的とは言えない部分があることを知って、学ぶことが大切だと思うんだけれどね。

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by walk41 | 2018-05-07 09:09 | ことばのこと | Comments(0)



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
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