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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

カテゴリ:ことばのこと( 596 )

複数の読み方 die plurale Aussprache

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駅名変更の案内を見た。

これまでの「やわたし」から「いわしみず はちまんぐう」に変わるという。

面白いと思うのは、「八幡」と同じ漢字でありながら、「やわた」と「はちまん」と異なる読み方が、しかも同じ場所についてできることだ。

この点で、形とその組み合わせとして漢字を覚える、つまり表意文字の漢字の良さを引き出すことが大切、ということだろうか。

by walk41 | 2019-09-05 07:59 | ことばのこと | Comments(0)

恥 Scham

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引き続き、滋賀県平和祈念館の資料から。

写真は1944年3月の「壮丁の栞」(大津連隊区司令部)、徴兵検査を受ける男子に向けたものである。

これは「徴兵検査に當りて」「寄留地検査の励行」「現役検査に就て」「検査を受ける心得」「徴兵検査の結果に就て」「幹部候補生志願に就て」「入営延期者に就て」からなるが、うち最初の項目を見てみよう。読みやすいように適宜、字間を空ける。

「諸君は萬邦無比の皇国に 天皇陛下の赤子として生を享け 皇恩の下 限りなき父母の慈愛、恩師の訓育、社会の恵みに依って斯く迄立派に成長し 目出度 徴兵適齢の年を迎えて元服し、母の胸に抱かれていた時から錬りに錬り 鍛えに鍛えた修養した身体の一切を捧げて今こそ 天皇陛下の御為に皇国の隆替を 此の一戦に賭する大東亜戦局の第一戦に 馳せ参じるの秋を迎えたという幸福感と、銃後一億が諸君に期待する絶対の期待に応えて、必ず其の使命を完遂せずんば止まないという覚悟が充満して居ることを確信して 衷心よりお慶びに堪えぬ次第である。

徴兵検査は諸君も既に能く承知して居る筈であるが、日本男子として只今も述べた所の 醜の御盾と成り得るか否やを決定される生涯一度の洵に意義深い 且神聖な検査であることを感銘し、旺盛なる志気と、健全なる心身を以て、厳正に受検することが必要であって、苟も自分の不注意や不心得から自分は勿論のこと 親の名を恥かしめ、一門の面目を潰し延いては郷土の名誉を汚す様のようなことがあってはならないのである。

今日迄に夫々市町村の方から詳しい御注意を頂いている筈だが 特に諸君が心得て置かねばならぬことを申述べておく。」

いかがだろうか。これは父権主義(パターナリズム)とファシズム(全体主義)の塊だと私は捉える。ひとりの男性の生のありようは、その個人によってではなく、天皇、父母、親戚縁者、郷土によって定められているという観念と、それを国家として一元的に回収して然るべきという立論が見られる。

また、これに応じないことが恥ずかしいことという言及は、いっそう個人を萎縮させる。なぜなら、恥は他者からの眼差しを自身の眼差しとして内面化し、他者に見られていない時でさえ自身を強く縛るものだからである。

こうして若者に対して徴兵検査が行われ、実際に徴兵され、多くが人を殺しまた殺されていった。あたかも「自然な仕組み」かのように見えるまでに浸透して、人々の意識と行動を方向づけていく「制度」を研究する意義はここにある。既存の「制度」を疑い異議申し立てする勇気を持ちたいと思う。


by walk41 | 2019-08-28 07:49 | ことばのこと | Comments(0)

パン Brot

パン屋さんに行った。レシートを見ると、店名に "pain de ...”とある。painとは? と辞書を引くと、フランス語でパンのことだとわかる。

そこでと調べると、次のようだった。pain(フランス語)、pan(スペイン語)、pane(イタリア語)、pão(ポルトガル語)と、もとは、panis(ラテン語)に由来するとのこと。なるほど。

だから、無い物ねだりかもしれないけれど、戦国時代にポルトガルから「パン」が伝わったと社会科あたりで子どもに教えるときに、「ちなみに、近くの地域では似たような言葉があってね」といった説明が教員からあればいいのになあと思う。そうすれば、たとえば、ヨーロッパの地理に興味を持つ場合もあるだろうし、もちろん言語を知りたいという場合も出てくるだろう。

ちょっとしたお喋りが、「関心・意欲」を促すきっかけになるとすれば、教員の「雑学」はすぐれて重要ではないだろうか。




by walk41 | 2019-08-24 19:46 | ことばのこと | Comments(0)

プロフェッション Professionalität

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http://e-kangeki.net/ より拝借。

ひょんなことから、大衆演劇を観る機会があった。温泉施設内の舞台で、そのときの観客は30人くらい。大音響と毒々しいくらいの光が飛び交う中、舞踊と呼ばれる踊り、寸劇、歌謡、太鼓とオムニバスが約60分間続いた。

驚かされた。というのは、あくまでも私が見た舞台の限り、上手な学芸会の域を越える出来映えとは思われなかった、にもかかわらず、大方は年配の女性だった観客は、熱心にまた懸命に応援しながら舞台に視線を注ぎ、全体として親和的な雰囲気が感じられたことに対してである。

たとえば、陳腐で常套句な台詞、よく知られているのに歌われると何の曲だかわからないような歌謡(わざと外しているのか思ったほどである)、突然に途絶える音源、こじんまりでシンプルな舞台装置である一方、浴衣姿の観客は応援のバチを持ち、舞台に合わせるかのような派手な原色のイルミネーションライトで応え、幕間には用意していたレイを渡しに行くという具合だ。また、公演の最後部には一同が舞台に現れ、座長が観客に向かって語りかけ、終了後は観客をお見送りするというサービスぶりだった。

帰宅後、大衆演劇の動画を見たが、上記HPの説明にあるように、家内労働的で座長以下、子どもを含む家族と親族が中心の10人程度のメンバーによって公演が行われ、温泉施設内で寝泊まりしながら各地を巡業し、一年間ほぼ休みなし、というのが通常の環境の業界があること、こうした劇団が全国に120ほどあり、平均一日あたり24000人が観劇しているという事実に、さらに驚かされた。

公演案内を眺めると、入場料が1万円といったものもあり、同じ大衆演劇の劇団でも千差万別なのだろうが、上記のような大方の劇団の環境から察するに、産業革命以降の近代化で見られる、分業を基本とするプロ(専門家)の台頭と進展という流れとは別の職業集団が存在することに、これまた自分の無知を知らされる。

あるテレビ番組では、劇団のお母さん、実子の母親、役者、舞台の裏方、金庫番等と、何役もこなす女性を取り上げていたが、それだけできる(やらなければならない)ということは、分業されていないゆえの労働上の専門性に限界がある(プロではない)とも言える。なのに、この女性は取材班に「プロですから」と語っていた場面が印象的だった。

「夏休みだから舞台に立った」子役に例示されるように、資格も認証基準も曖昧で、制度的な養成、採用、研修も伴わず、おそらくは厚遇と言えない労働環境の中で、素人とそう変わらないように見える公演が開かれている。そして、これに対してそれなりのしかも熱心な人たちが気軽に見に来ているという事実、に不思議な魅力を感じる。

また、歌、踊り、演奏、いずれも専門的でなければ舞台に立てるはずがない、また観客にはドレスコードが求められ、観劇中のマナーを守ってこそといった理解が、いかに「大衆」から離れているかとも思わされる。文化政策、文化振興と口にする人もいるけれど、そこでの「文化」理解の薄っぺらさに、改めて気づかされる。



by walk41 | 2019-08-23 08:00 | ことばのこと | Comments(0)

パーセント Prozent

自分が何となく知っているつもりだけで、よくわかっていないことは山ほどあるが、パーセントという言葉もその一つだ。

英語でpercent、cent は100分の1だからと合点していたが、するとperの意味が弱まってしまう。なぜ、per-hundredではないのだろうか。

さて、percentを改めて引くと、古くは、per centum、100あたり、というラテン語にもとづく。なるほど、だからcentury は100年、1世紀なんだね。けれども、centimeterは、centumから来ている言葉なのに、100分の1の意味である。どこで変わったのかしら。

スペイン語では、por ciento またはpor cien と100あたり、の意味で綴られる。またドイツ語では、Prozent、これも、per centum 流れに位置する。

言葉の成り立ちは、一貫しているような、いないような、まあ大らかなものと解した方がいいのだろうと思わされる。




by walk41 | 2019-08-17 12:11 | ことばのこと | Comments(0)

「お疲れさま」考 Üner „du musst sicher viel gemacht haben. Nimm gute Ruhe“ in Japanisch

教員が生徒に「お疲れさま」はおかしいと述べる、中学校教員の投書を読んだ(朝日新聞、20190728)。その趣旨は、丁寧語が過ぎて正しい敬語を遣えていないのではないか、というものである。

これに対して二つ言うならば、その一つは、非対称のコミュニケーションが前提にされる学校だからこそ、教員が生徒に丁寧であって困ることはないということである。

たとえば、小学校の頃はまだしも、中学校、高校になると、少なくない生徒は、どう呼んでほしいかと尋ねられもせずに、初対面の教員に呼び捨てされる。大人同士なら決して通用しない、失礼極まりない振る舞いである。「子ども相手」の仕事ゆえとも言えるだろう。

この他、授業中など、挙手をさせて指名するといった形式も権威的である。発言の交通整理上もルールならまだしも、挙手を競わせたり、自発性や意欲の指標として用いるのは乱暴だろう。おかげで、挙手できない、しない生徒は傍に追いやられる。「どの子も授業に参加するクラス」など教員の夢想に終わる。

かくも教員が生徒に暴力的な場面が多いのだから、できるだけ丁寧に対応することは教員自身の戒めとしても重要だろう。

もう一つは、「お疲れさま」と「お疲れさまです」は似て非なるものである。投書主には同じものと扱われているが、私の辞書では、前者は「上から目線」であり、後者はそれを含まない丁寧語だ。たとえば、上司に「お疲れさま」と労う部下は、失礼だと問題視される。「お疲れさま」さらには「お疲れ」は、同僚や友人など気軽な関係ゆえの言葉と解するべきだろう。

だから、教員が生徒に「お疲れさま」と言うのは丁寧語ではない。逆を考えてみればよい。生徒が教員に「お疲れさま」と言えば、怪訝な顔をしたり、不満を見せる教員のいること必至である。そもそも、生徒を呼び捨てしている教員が、生徒から自分が呼び捨てされたら怒ること間違いない。

よって、教員が生徒に「お疲れさま」と伝えることは、ともすれば上司気取りの教員が自己抑制する一つの機会として良いことである。ただし、それさえもラポール(心理的親和性)を築けていない生徒にとっては鬱陶しいことだろう。「私の何をわかって、そんなこと言うてんの」って。



by walk41 | 2019-08-13 07:49 | ことばのこと | Comments(0)

英語の see / she

関西空港にて。大学生くらいと思しき年齢の娘さんとその母親だろうか、渡航先での入国審査のことを話している。「何のために来たのかって聞かれることがあるんやって。」「そのときは、観光、サイトシーイングって言ったらいいって。」いや、シーイングとはちゃうんやけれど。

日本語はこの場合、不利だ。観光、sightseeingはsee 、敢えて言えば「すい」を早口で話す感じである。ところが、ゆっくり目に発音するなら、「しー」になってしまう。このために、seeingがシーイングになりやすい。まあ、入国審査で尋ねられてそう答えても、相手はきっと理解するだろうけれどね。


by walk41 | 2019-07-27 09:58 | ことばのこと | Comments(0)

押させてもらっていいですか Darf ich hier drücken?

特に、顧客として接する日本語でのすこぶる丁寧なさまには、飽きることなく驚かされる。

改札で「お願いします」と青春18きっぷを差し出すと、駅員さんから「押させてもらっていいですか」と返ってきた。もちろん「困ります」となるわけではないのだけれど、確認を兼ねた応対なのだろう。

さらにホスピタリティあふれる駅員さんならば、押したスタンプに紙をあてて、乗客の手がインクで汚れないように配慮してくれる場合もある。恐れ入ります、である。

by walk41 | 2019-07-26 10:38 | ことばのこと | Comments(0)

お降りられる

JRに乗っていて気づいた。駅に止まると流れるアナウンスが、「お降りられましたら‥」と聞こえたのだ。「お降りになる方が‥」は馴染んでいるけれど、これは私には新手だ。

「降りられましたら」では、十分に丁寧ではないと考えられたのだろうか。これに「お」をつけたように思われる。

「降りられる」ですでに尊敬語になっているのだけれど、これに丁寧語をさらにつけたという辺りか。丁寧過ぎる日本語へと、世は加速しているのだろうか。

by walk41 | 2019-07-24 09:30 | ことばのこと | Comments(0)

変わってきたかな Hat das sich geaendert?

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参議院選挙の期日前投票に行ったら、この用紙だった。投票の宣誓書と生年月日の欄が、和暦(といってよいのかどうか)と西暦のいずれかを選べるようになっている。

対して、ずいぶんと昔、別の書類だったが、和暦しかないことに市役所で苦情を言ったことを思い出した。

僅かずつでも、こんな点でも世の中が変わってきているかなと思わされる。

by walk41 | 2019-07-24 07:10 | ことばのこと | Comments(0)



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
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