学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

カテゴリ:ことばのこと( 522 )

話してこその言語

言語という言葉は、英語でlanguageがあてはまるだろうけれど、なぜlanguageというのかということを、これまで考えたことがなかった。

英語で語源辞典を引くと、ラテン語のlinguaに遡るとのことで、これはtongue(舌)にも通じる言葉、つまり、話す、会話するという意味に至るという説明である。

なるほど、言語とは話す-聞くことから始まったと思い起こせば、読む-書くという動作はずっとあとに来たことがわかるだろうに。なぜか現在、言語と聞くと、書かれたもの、読むべきものをイメージしがちなほどに、言語が記号として捉えられているのである。

ここで、言語を話し言葉と見なしてみよう。すると、次のような特徴が浮かび上がってくる。話ことばは、人によって違うのが当たり前である。声の高さや低さ、速さや遅さ、イントネーション(抑揚)、アクセントやリズム、そして表情が多岐に及ぶ。あるいは、話ことばは瞬発性が高く、予めつもりできない。これもまたPDCAサイクルと相性が悪いのだ。さらには、話しぶりによって、伝わるイメージや事実さえも変化(へんげ)しうる。「きのう、お寿司を食べてね」と話す人の脳裏には、「おばあちゃんが作った素朴な巻き寿司」が浮かんでいるのか、「カウンター席に座って、回らない寿司を、時価で食べた握り寿司」が映っているのか。それは、話しぶりで判断されることになる。

言葉の意味が書き言葉に縛られないことは、いずれの言語であっても同じだろう。"What kind of fruit do you like?" の答えが、"I like apples" だとしても、それが、自分だけの好みとしてのリンゴなのか、それしか提供されないから仕方ないためなのか、はたまた、自分はそうでもないのだが、母親が「美味しいね」と連発するからそういうことにしておこう、という理由なのかは、話しぶりで見極めなければならない。これを記号としての文字だけで、正しく判断するのは容易ではない。

言語を記号的に捉えると、客観性、没人格性、保存性(記録性)といった特徴が明らかである。これに対して、話ことばは当事者(少なくとも話者)の主観性、優れて人格的性格、一過性(一回性)のものとして説明される。言語が話すことに由来する点を確かめるならば、昨今の文字中心とも言うべき言語状況は、どのように評価できるだろうか。

さて、教育の文脈において「生き生き」や「活発な」「主体的な」様子に重きを置くならば、言語は話す-聞く、まさに生きた言葉として捉え直されるべきである。生きた言葉には、旬があり、有効期限もあり、話し手の数だけ種類がある。これに対して、「いつでも、どこでも、誰に対しても」有効な書く-読む言葉が、生気を失っていることは、当然の論理的帰結である。




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by walk41 | 2018-02-05 23:00 | ことばのこと | Comments(0)

言語はツールか

小学校に英語教育が本格的に導入されようとする今、英語に限らないが、言語と学力の関係を考えることは、より重要だと思う。

ある考え方によれば、言語はツールとのことで、これを使いこなす、また達成状況を把握、評価できるようにすべきという論理が示される。算数と同じように、英語についても、できたかどうかを確かめなければならないと言うのだ。けれど、はたして言語はツールだろうか。

ここでツール(道具)という時、少なくとも二つの区分が必要である。それは、①主体を離れても成立する道具か、あるいは②主体と不可分な、つまり主体を離れると道具としては成立しないか、である。前者は時計や自動販売機のようなもので、電気さえあれば時を刻むし、ボタンが押されれば何か飲み物が落ちてくる。そこでは、誰が時計を見ようとも同じ時間を示すし、誰が押しても飲み物が出てくる、つまり、そこに主体によって変化するようなことは想定されていない。

これに対して後者は、鋏や鍬のようなものである。これらは立てておいて勝手にものを切ったり、土を耕してくれるわけではない。しかも、人が同じハサミを使っても、使い手によって結果は大きく異なる。切り絵職人が見せる技もあれば、いわゆるぐちゃぐちゃに紙を切る人もあるだろう。クワも同様で、「これでは畑にならないよ」と嘆かれるような遣い方もあれば、その道のプロの扱い方もある。同じ道具なのに、雲泥の差があるのだ。

そして、この前者と後者の間には、漸進的なゆるやかな段階が多くある。たとえば、自動車は、ある程度以上の年齢で、教習を受けていれば、誰が操作しても発進、走行、停止はできるけれど、いわゆるドライビングテクニックには、初心者からベテラン、プロと大きな差が見られる。この点で自動車は①と②の間に位置する。

では、言語はどんな意味での道具だろうか。語彙と文法の限り、誰が話しても同じようになることは確かだろう。"What time is it now?"は、いわば常套句であり、とりあえずはいじりようがないと言える。この点で言語は、①の意味での道具だが、ならば、パッケージ化できる、つまり、翻訳機など機械で代替できる可能性がある。話し言葉はもちろん、書き言葉でも昨今の技術革新には著しいものがあり、母語と違う言語へのやりとりは、今後いっそう容易になるだろう。人間の頭をgoogle並にすることは不可能だし、またそれが望ましいわけでもない。walking dictionary(歩く辞書)という褒め言葉は、もはや博物館ものである。

ならば、道具としての可能性は②についてになる。その人だからこその言葉がより促されるような状況を作り出すこと。たとえば、主体は回りの環境から影響を受ける、内弁慶や人見知りという言葉があるように、親密圏ではスムーズに話のできる人が、初対面の人とはそういかない、恥ずかしがったり、反対に尊大に振る舞ったりすることがあるのは、主体が実は曖昧なことを示すものだ。私じしん、長らくドイツ語になじめず、その学習に何度も挫折したが、拙い私のドイツ語に辛抱強くつきあってくれ、適度にアドバイスをくれたドイツの友人たちがいたからこそ、それなりに操れるようになったと思っている。

つまるところ、これからの言語は、パターンの決まっているアプリケーション的な部分はやがて機械化されるから、特に人間が訓練する必要は薄れる。また、パターンの設定が難しく、臨機応変にさらに創発的に生成する部分は、健康的な主体とその環境に委ねられるから、いわゆるコミュニケーションの力と態度を身につけることが望ましい。自分の周りの環境をより望ましいものにするのは、観察力と心配りだろう。自身がどれだけ優秀でも、回りから忌避されて相手にされない人がいるんだと実感したことから言えば、言語に限らず、広く学力は個人で完結するものではなく、あくまでも関係性として捉えられるべきものである。

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by walk41 | 2018-02-03 21:11 | ことばのこと | Comments(0)

ゲルピン

家人が遠藤周作の著作集を借りてきて読んでいる。その一つ「わたしが・棄てた・女」(1963年)の文中に、「ゲルピン」という言葉が出てくる。ドイツ語の貨幣(Geld)とピンチ(危機)あるいは「貧」の組み合わせと言われる、お金のない様を指した言葉だ。

それを見ていて思い出した。以前の勤務地で知り合った化学の教授で、ご自身が学生だった頃に、お金が足りない時に「ゲルピン」とよく言ったものだと話をしてくれた。遠藤周作のこの作品にも出てくるが、お嬢さん(ドイツ語でMaedchen)を「メッチェン」と言っていた件も聞いた。

私より20歳以上は上の方だったかと記憶する。その彼が学生だったときに、ドイツ語をかじっていたのは、きっと学生のシンボルでもあったのだろう。哲学、医学ほか多くの学問がドイツ語圏からやってきていた中、ドイツ語に引っかけた造語がなされたのは、ごく自然なことだったと思う。

「インテリ」(知識人)としてのステータスシンボルが、外国語を知っている、さらには操れることだったかつてと比べれば、今ははたして何がこれに相当するのだろうか。学生帽はもちろん学生服も着られなくなり(ごく一部の「お嬢さん大学」に残されるばかりとなり)、街に出れば誰が学生かわからないほどだ。

大学生が高校生の延長に位置づくだけならば、ステータスシンボルは不要である。こうした大衆化(民主化)されたことの良さを喜ぶべきか、頭でっかちでも「ちょっと違う」と思わせるものがなくなったことを嘆くべきか。ええっと、大学ってどんな場所でしたっけ。


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by walk41 | 2018-01-26 22:12 | ことばのこと | Comments(0)

「させていただく」

昔のファイルを整理していたら、1985年の夏、大学院に入ったばかりの頃、学会にて共同研究を発表した際の原稿が出てきた。初めての学会参加と発表で、読み上げることもできるように用意していた発表原稿である。

その冒頭にこう記されているではないか。「以下、続けてご報告させていただきます」。

なんと、「自分の動作を指して、”させていただく”はおかしい」と吠えている自身が、この通りの発表原稿を用意していたこと、しかも今から30年以上も前にである。しかもご丁寧に、自分の発表を「ご報告」と指している。「”以下、続けて報告いたします”、で十分」と今なら叫ぶこと間違いない。

「なんや、あんた、問題やっていう言い方を、しっかり遣うてるやん」と批判されても返しようがない。

自分の記憶がいかにいい加減かということ、またこの表現が最近現れたとも言えないと、知ることになった。あ-あ、情けない。


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by walk41 | 2018-01-22 15:29 | ことばのこと | Comments(0)

正直

週末をつかって、学生のレポートを読み終える。仕事だから当然だが、けっこう骨が折れる。

その作業の中にあって、懸命に取り組んだ学生が多いことはとても喜ばしい。フォーマットの整い、キーワードの活用、論理的展開、アクセント豊かな語尾、学生自身の変化とテーマとの関係が明確、といったレポートは、読んでいて嬉しくなるほどである。

さて、こうしたレポートを読んでいて、受け止めに迷うのが「正直」という言葉の遣い方である。「正直無理だと思う」「正直精神的に病むと考える」、あるいは「正直に言えば」という記述だが、自分としてはなかなかしっくりと来ない。なぜそう感じるのかを考えてみると、私が次のように理解しているからだろうなと気づいた。

社会科学(と称する)の分野の記述は、複数の事実の関係を捉える(説明する)ことを目指すものであり、そこに事実を観察する人間の存在は、直接には現れないか、現れたとしても、せいぜい控えめでしかない、というのがマナーである。人文系であれば、「私は…感じた」「そんな感情を僕は抱いた」と書いても一向に構わないのだけれど、社会の出来事を説明可能なように想定し、それがよりできることを目標にする分野では、そうした観察者、当事者の主観性はできるだけ抑制されるべきと考えられる(もちろん、そうしたことは不可能だと、参与観察の立場があるし、社会を科学的に捉えることはそもそもできないという立場もある)。

こうした文脈にあって、自身の受け止めや感情の表出と親和性の高い「正直」という言葉を見ると、場違いに思うのだろう。感想、雑感を記す中では何とも思わないこの言葉が、可能な説明に臨むべき箇所で見られることに対して違和感を感じるのだと思う。

科学としてより純化されていることが必要な自然分野を想定すれば、明らかだろう。津波やハリケーンの研究レポートに「正直、こんなに大変だとは思わなかった」と記されていれば、調査後の雑記としては読めても、「本論中には入れるなよ」と、突っ込みの入ること必至である。学生にも少しづつでいいから、こんな感覚を培ってほしい。



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by walk41 | 2018-01-22 10:37 | ことばのこと | Comments(0)

難民と避難民

ふと思った。難民と避難民はどう違うのだろうか、と。

webで引くと、同じ疑問を持つ人の問いかけがたくさん挙がる。いわゆる教科書的にはこのようだ。つまり、国境を越えて避難してきた人は「難民」、国内で避難してきた人は「国内避難民」と区分されると。

この定義はそれでいいのだけれど、国外に避難した人を「国外避難民」と命名すればいいだろうに、なぜ、「避」が取れて「難民」になってしまったのだろうか。

古くは1951年に国連で「難民の地位に関する条約」(「難民条約」)が採択されており、難民という言葉はすっかり馴染んでいると思われるし、近くの社会科の教員にたずねるも「わからない」とのことだった。市民権を得ている言葉だから、もうあげつらわなくてもよいようにも思う。

けれど、難民が「難解」「難問」「難儀」といったやっかいなこと、難しいことと関わりうると(いじわるに)解せば、避難してきた人に非があるわけではないのに「難民」と呼ぶのはよろしくないのではないだろうか。

自動販売機が自販機、サラリーマンがリーマン、と略記されるのは、忙しい世にあって合理的でもあるけれど、「避難」を「難」と略記するのは適切だろうか。馴染んでいる言葉だけに、今さら変えるのも難しいだろうけれど。

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by walk41 | 2018-01-13 16:36 | ことばのこと | Comments(0)

名前

宮原浩二郎「名前使い分け、複数の自分に」(朝日新聞、20171212)を面白く読んだ。

近代以前の日本人は、幼年期の名前、成人してからの名前、そして老後の隠居名があったという。社会的立場の違いを反映して名前が替わり、名前が替わることで自身も変化していったのだろう。

それが、生涯ひとつの名前に限られるようになったのは、戸籍として個人を管理するようになった近代国家の誕生をもってである。ひとりの人間に日本人として戸籍を与え、就学時期を迎えれば学校に行くようにと案内を出し、結婚すれば姓を統一させ、怪我や病気に備えて国民健康保険、老後に備えて国民年金、その他、自動車運転免許証、クレジットカードの顧客名簿など、あらゆる情報を一元的に管理できる。いまや、マイナンバー制度の導入によって、税金逃れも許さないという体制だ。

ちなみに、天皇制度もこれに準じているとも言える。一人の天皇の元号が一つという制度は、明治から始まったもの。きわめて新しい仕組みである。それまでは同じ天皇でも、飢饉や災害などを機に、いわば験担ぎ、イメチェンとして元号を替えることが行われていたのに、一人に一つに限るようにしたのは、一人の天皇が一つの時代をつくる(一人の人間が一つの人生を歩む)というメタファーを成立させるためである(今まさに「平成30年間の総括」という記事が見られるように)。

こう考えると、人生の局面によって名前を替えるのも健康的に生きていく上での一案なのに、これを認めない制度のもとで、しんどい人がいるのでは、という指摘はなるほどである。私は「よしひろ」という名前だが、私が子どもの頃、私の子ども時代を知っている人、そして今であっても甘えてよい関係の人にとっては「よっちゃん」となる。こうした「ちゃんづけ」を大人になってたとえば、親から呼ばれることの恥ずかしさや、不満を感じたのは、おそらく私だけではないと思う。

となれば、いわゆる肩書きを得たり、また変わったり(思えば、私も、大学院生→助手→講師→助教授→教授、といった変化を経てきた。もっとも、私の知る限り大学人は驚くべきほど「子ども」のままだが)や「お父さん」「お母さん」と呼ばれるようになっていくこと、さらには退職後の「地域デビュー」では会社勤めの頃の名刺を出すなど愚かなことはしないようにという話が、つながってくる。

戸籍上は一人の人間として一貫しているけれど、何十年という時間の中で、周りから注がれる眼差し、自分を見つめる眼差しが確実に変わることに伴うエピソードは、たとえばキャリア論(教育学上の議論に引きつければ、中央教育審議会答申「教職生活の全体を通じた. 教員の資質能力の総合的な向上方策について」(2012))とも接点を持つだろう。先の宮原さんが指摘される、インターネット上のハンドルネーム、ある筋の職業上の「源氏名」などは、名前を替えられない制度に対して、知ってか知らずか異議申し立てをしていることの現れと見るのも興味深く思う。

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by walk41 | 2017-12-14 10:49 | ことばのこと | Comments(0)

マンションポエム

家人が面白いページがあるよと。分譲マンションの広告、マンションポエムだ。

高級度つまり価格が高くなるほどにポエム度が強まるキャッチコピーだが、分析に足るほどにたくさんの分譲マンションが建っていること、そしてそれらの広告を集めていることに驚かされる。

そのページの一つを覗くと、こんな広告があるのだそう。以下、https://matome.naver.jp/odai/2139472254796167801、より拝借。なお、マンション名は略。

考えた人の苦労が偲ばれる。また、マンションを売るにはかくもイメージを沸き立たせなければならないということもわかる。使用価値や交換価値ではなく、象徴価値がより意味を持つモノだということが。


静寂と躍動、伝統と進化… 神宮前1丁目、ここには本質の全てがあります。


解けない魔法を、この地にかける。


その都心の『丘』は、美しい人生の叡智に充ちている。


そこは、成城でもなく、仙川でもない。そして、成城でもあり、仙川でもある。


この地にふさわしき上質を宿したマテリアルが、他にはない唯一無二の存在感を生み出す。


地の必然。飾るのではなく装う、というスタイル


失われし感動は、新たな輝きとともに甦る。陵丘の邸。かつて家康は、此の地をこう呼んだという。月の岬。


天空に舞い踊る星々のトレモロ。人々の営みを物語る地上に散りばめられた灯火のロマネスク。あるいは、早朝のまどろみから朝日に洗われつつ姿を現す都会のエクリチュール








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by walk41 | 2017-12-11 14:44 | ことばのこと | Comments(0)

question, problem, issue

これらの英単語はいずれも「問題」と訳せるけれど、どう違うかしらと、学生たちに尋ねた。「うーん」と首をひねる姿も見える。

こんな感じで捉えればいいんじゃないかな。
たとえば、いじめを例に挙げる。「文部科学省によるいじめの定義の変遷について述べなさい」と投げかけるのはquestion 、これは答えが決まっている問題だ。

これに対して「いじめをなくすためにはどんな手立てが考えられますか」と尋ねるのはproblem、事実を解決されるべきものと設定する点で特徴がある。

そして「いじめはなぜ問題になるのだろうか」と問いを立てるのがissue、その言葉が持つ意味や扱うことの意義を問い直そうとするものである。

あるいは、学力を例にしてみる。question, problem, issue の順に、
「全国学力テストの第1位は何県か」、「学力を向上させる方策を挙げなさい」、「学力が注目されるようになった背景はどのようなものか」という感じだろうか。

このように「問題」を分けることで、議論が整理できる。いわゆる基礎・基本に類する問題はquestionであり、実践的に捉えようとするとproblemになり、そもそもどんな問題かを考えるのはissue、ということだから、何のための議論なのかによって遣い分けるべきことがわかる点で、生産的な議論につながる。

話をしていて遭遇しうる違和感は、いずれの問題として扱うかが集っている人たちの間で必ずしも了解されていないことに因る場合がある。たとえば、実践家と称する人は「どうすればいいのか」と問題を捉えがちだが、研究者は「それは本当に解決すべき/解決できそうな問題なのか」と臨むことが多いので、すれ違いが起こる。

実践家は「役に立たない机上の空論」と研究者を非難する一方、研究者は実践家を指して「解決すべき/できそうな問題かどうかの見極めもできていないのに、どうすればいいのかをいたずらに求める頭でっかち」と非難する。こうした徒労を避けるためには、議論の作法に通じ、何のための話し合いになっているかを追跡しつづけなければならない。「何となくの話し合い」や「ざくばらんなお喋り」が罪作りなのは、これら故である。

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by walk41 | 2017-12-06 14:30 | ことばのこと | Comments(0)

「させていただく」

この言葉を取り上げた書籍もすでにあるので、目新しいことでは決してない。むしろ、市民権を得て定着してきたのだなあと感じさせられる昨今である。

「役員をさせていただいた」「いい経験をさせていただいた」と、自身がしたことを指してすっかり遣われるようになった「させていただく」。以前ならば、他者の領分に入った失礼を詫びる意味で遣われていたと思う。「あなたの座席を変更させていただいた」というように。自分のことについて使役的な言い方をする必要はないからだ。

けれど、この言い回しは今や中学生ですら当たり前に見られることに驚かされる。「させる」は使役ではなく、「する」の変形のように意味づけられ、これに「いただく」という謙譲が伴うという感じである。「立候補させていただいた」「発表させていただいた」と同じ調子のオンパレードなのだ。どれほど謙虚な姿勢なんだ、もっと傲慢に、いやせめて「普通」でいいではないか、「立候補を決意した」「訴えた」と言えばいいのに。

世に日本の青年の自己評価が低いことを問題視する立場がある。「自尊感情の低さが自身のなさ、生きる気力の弱さにつながっている」という論調である。けれど、この反対も言えるだろう。かくも自らをへりくだる言葉に馴染むほどに、青年の控えめさ、物腰の低さは「学ぶべき者」として、まことにふさわしいことではないか、と。

学ぶためには、己の小ささや至らなさを知らなければならない。間違っても、今のままで十分、怖いものなどないといった全能感を捨てなければならない。「自分は間違っていない」「自分以外はあんぽんたん」と思っている場合に、学ぶ必要などないからだ。この点で、日頃の言葉遣いは重要である。なぜなら知らず知らずのうちに自身を強く枠づけるから。「私のような者が」「恥ずかしながら申し上げれば」「ぜひ教えてくだされば」という姿勢は、学ぶための前提ですらある。これらを伴うことなく、「何か面白いことをやってみろよ」といったお客さん気分で教室にいられては。学ぶことなど覚束ない。

つまり、学びを促す上で、謙虚すぎる言葉づかいに親しんでいることは望ましいことですらある。こんな言い方が一部とはいえ、若い世代になぜ浸透しているのかはわからないが、「させていただく」表現に違和感を感じない人々が台頭すれば、より平和な世の中になることだろう。たとえ野心的ではないにしても。

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by walk41 | 2017-11-23 16:09 | ことばのこと | Comments(0)



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
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