学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

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自分だけですら大変なのに

ロンドンでのオリンピアードが始まった。

「(メダルに)120%の自信がある」とも伝えられた体操の内村選手が、鉄棒で思いもかけない落下、驚かされた。ちょっと前に、NHKスペシャル「ミラクル・ボディ」で、鍛え上げられた彼の肉体と技を目の当たりにしていたから。

なのに、先に出場した選手の失敗を挽回しなければと焦ったか、素人目には「ありえない」ようなミスが起こってしまった。オリンピアードの空気がそうするためか。

学校教育のことを考える身としては、二つのことを感じさせられる。その一つは、自分のことですら、マネジメントするのは大変なのに、どうして子どもとはいえ他者、しかも何十人もいるような他者を予めつもりしたように操作、控えめに言っても、影響を及ぼすようなことができるのだろうか、ということ。

もう一つは、自分と他者に及ぼす影響の精度、あるいは水準を、学校教育の場合はどれほどに設定すればよいのか、つまり要求水準はどれくらいなのかということだ。

前者については、他者に影響を及ぼすこともあるだろうけれど、それはいわばたまたまのことで、つもりしたようには決して行かないだろうこと。後者については、コンマ何秒を下回るような瞬時に身体を操り、技を見せるような話ではないとすれば、何秒、何分、あるいは何時間で「カタ」をつけるような技を、学校教員は追求、あるいは願っているかを整理する必要があるだろうこと。

こう考えれば、ほとんど賭け事のようなあやふやさや大まかさでしか、教育実践というものはありえないと導けるように思う。それを承知の上で、何を求めるのか、また事態にいかに対応する上で、何を知っていなければならないのか。

にもかかわらず、こうした方向で議論が進んでいないのならば、その背景にあるのは、「~すれば、~になる」という思考様式を他ならぬ教員が好んでいること、またそれが自身の職能を語るはずと信じていることから起こる不幸だろう。

このことを変えていくためにも、教員が「子どもへの働きかけの仕方」や「意欲の持たせ方」といった発想と形式からいかに離れることができるか、が問われる。しかしながら、今のところ、この問いに気づいている教員は、残念ながらとても少ないだろう。「教師力の向上」と各地で異口同音に唱えられてはいるけれど、その前提となる教師の姿勢と能力に限界を見てしまうのは、私だけだろうか。
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by walk41 | 2012-07-30 22:29 | 身体 | Comments(0)

寿司ネタに釘付け

ねこフリークのみなさま、こんにちは。

このブログの立ち上げ間もなく、もくれんさんが紹介くださいましたが、拙宅のねこたち、なかなかトロとはいかないものの、たまに出てくる寿司ネタに、「注目!」です。

見よ、この集中度、魚大好きなもなかとともに、右目損傷のジジもきりりとした態度、熱意が伝わります(なんのこっちゃ)。カメラの上で、ネタをエサに遊んでいる意地悪な飼い主というだけのことなのですが(^^;)。

このあと、ちょびっともらっってご満悦の様子。遅ればせながら。、あずきもお溢れにあずかりました。

きょうも猛暑でしたね。くれぐれもご自愛のほどを。

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by walk41 | 2012-07-29 22:10 | ねこのこと | Comments(2)

学校で「居住の自由」を認められるか

NHK,サイエンスZERO、を見る。この新春のNHKスペシャル「ヒューマン」の部分的ダイジェストだ。

人間にはなぜ争いがあるのか。人類が生まれたアフリカ、果実が一年中豊かに実るジャングルでは一人で食べていればよかったが、やがてジャングルから草原に出ると、貧しい食料を分け合わなければ生きていけなくなった。ここに、100人程度の仲間内でのルールが生まれる。しかし、仲間といってもトラブルが起こればそこから離れれば良かった。食料はほかでも探すことができたのだから。

狩猟から農耕へと生活を一変させたおよそ1万年前、人類は、田畑という労働場所を選ぶことにより定住を余儀なくされ、仲間内に加えて近隣の人々とも共存するためのルール、つまり「正義」を誕生させる。相手の領地に入ることは「正義」に反するが、飢える時はやむを得ない。奪うことも「正義」である。

こう考えられるなら、学校での「いじめ」も何となく捉えられる。学校とくに学級で生徒たちは、尋常でない高い人口密度のもと、定住を強いられる。そのクラスが嫌でも出て行くことは許されないのだ。しかも、座るべき席も決められている。なおさら、「ご近所」つきあいには気を遣う。

こんな学級において、活動の目標や基準が定められると、そこから外れる生徒も出てくる。遅い、汚い、勉強や運動ができない、などである。アンチ学校文化が力を持つこともあり、「できる子」が標的にされることもある。もっとも、スポーツに秀でていることはおおよそオールマイティーだろうが。

学校には労働がないから、共有、分割される資源や価値はシンボル的なものになりやすい。カッコいい、モテる、ダサい、鬱陶しいなどである。それは見えるようで見えないものだから、この基準に反するのかどうかは、気分や感情で決まりがちで、このためしばしば「正義」が暴走する。

日本国憲法に謳う、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」(第22条)は、学校の場合、適用されないようである。あるいは、「クラスを替わりたい」「学校を替わりたい」は、公共の福祉に反するのかもしれない。

人々の移動性(mobility)がかつてなく高まり、いつでもどこにでも行けるかのような、少なくともインターネット上ではどこにでも自分の世界を作れるように思える今でも、「いじめ」に苦しむ子ども、大人がいる。移動手段がほとんどなく、村や集落の中で生涯を暮らさなければならなかった、数世代前までの人々の苦しみは、いかばかりだっただろうか。
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by walk41 | 2012-07-29 15:19 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

「どこでも同じようにできる」

今でも思い出す大学の授業のワンシーンがある。

当時わたしは、大学院生として学部の授業を聴講していたが、授業中に女子学生が手を挙げて教授に質問したのだ。

その趣旨は、「教育制度の研究をして、どんな意味があるのですか」というものだった。わたしは、「ええ質問するなあ」と心の中で拍手をしたのだが、これに対する教授の言葉には、大いに肩すかしをくらった。正確ではないが、ほぼこのままだったはずだ。

「正しい教育制度について知っていれば、どこでも同じように教育ができる」と。

ここからは、ずるい後智恵(いわゆる正当化、合理化)も含まれるが、そのとき直感的に「なんか、違う」って思ったのだ。

後智恵というのは、その数年あるいは十年くらい後かもしれないけれど、こうした言い方については、ちょうど、聖書やコーランを正しいと見なして、その近くに身を置く自分を疑わずに、まるで司祭のように振る舞うのが「研究者」だと捉えれば、うまく現実を説明できるなあ、と気づいたことだ。

正しさが所与のものとして存在し、なぜかはわからねど、その近くにいる自分は、「神の声」を届けることができるという構図、いうまでもなく、「信者」あるいは「迷える子羊」は、教育学の後進または学校教員である。

これが、「教育学徒」もしくは「教育教の信者」だが、彼らもやがては目覚める。いつまでも司祭の言うとおりには世界を解釈しない。

はたして、司祭の言うような世界が正しいのか、それとも他の司祭を捜した方がよいのか、はたまた、そもそも「真理」へと導く司祭などペテンのようなものなのか。あれから四半世紀が過ぎ、「最後の審判」も近づいたように思う。

当時の関係者には厳しい言い方が続くが、これもまた、「教育効果」の一側面だろう。将来、自分の授業やゼミのことを覚えているかもしれない今の学生にやがては審判を受けること、まさに他山の石、大いに自戒しつつ励みたく思う。
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by walk41 | 2012-07-28 22:23 | 研究のこと | Comments(0)

くつろぎはじめたようです

ねこフリークのみなさま、こんにちは。

預かって3ヶ月、Milkyの行動パターンに変化が訪れました。我が家のテーブルにどーんと寝るようになってきたのです。

カメラを向けても、前のようにさっと逃げることはなくなり、なんやのん、という感じでしょうか。まあまあ落ち着いています。

しゃあない、ここで暮らすんか、と思ってるのかもしれませんね。これまでみたいに外に出してやれないのは可哀想だけれど。

それにしてもここ数日の猛暑、京都では日中37℃を越えました。

ねこもすっかりバテている様子。みなさまも、くれぐれもご自愛のほどを。

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by walk41 | 2012-07-28 21:58 | ねこのこと | Comments(0)

「気にくわないヤツ」

自己開示のようなブログが続き、恐縮です。

中学生の頃のことを思い出した。2年生だったと思う。

ちょっと突っ張った感じの子で、視線が厳しかった(私にはそう思われた)。「校則とか守らんでもかまへん」「教師ってうっとしいわ」というオーラを漂わせていた(ように私には感じられた)。本当のことはわからないけれど。

そうした彼に対する私の冷たい視線を、日頃から彼も感じていたのだろう。どんなことがあったかは思い出せないのだが、小さなこと、たとえば、教室の床にゴミを落としたまま行こうとした、といった類の話だったと思う。当時、学級委員だった榊原クンには看過できなかったのだろう。彼とちょっとしたとっくみあいになったのだ。

当然、教師の知るところとなり、放課後、職員室で少しずつ言い分を聞かれたあと、理科の担任教師は、「はい、これでお終い。握手」と無理やりに手を握らせた。「民主的教師」を自認していた人だったけれど、実践はトンチンカンだった。とんでもなく嫌だった。「こいつが悪いんやろ」と思っていたのだから。

その後、私が気にくわないヤツは、休み時間などに廊下の曲がり角に潜んでいて、スッと足を出しては私を転かすようなことをしていたが、大きな衝突はないまま卒業に至った。ひょっとしたら、私が私立に進学したのは、彼のようなヤツと高校でも会うのは嫌、というあまりアテのない理由があったのかもしれない。私立だから、いない訳でもないのに。

学校で重んじられる真面目さ、礼儀正しさなどは、中学生にもなれば、一部の生徒に体現されている。これを気にくわない生徒、あるいは気にくわない生徒を気にくわない生徒の間で、軋轢が生じる。「いじめ」は、学校が認めない価値に傾いている生徒が、そうではない生徒を攻撃するという構図だが、この反対ならば、「罰則」「制裁」になる。どちらも、それぞれの「正義」を相手に浸透させようとする点では同じだろう。

ちなみに、真面目の塊のようだった件の生徒は、高校、大学と経るにつれて、いい加減になり、「まあ、いいんとちゃう」ときわめてアバウトな今日に至った。かくも、人は大きく変わると実感するから、生徒の頃に抱く価値観に、自身があまり縛られないようにと願う。でも矛盾するのだが、一度はしっかりと縛られることも大切なのかも。
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by walk41 | 2012-07-28 13:46 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

ちっぽけな「正義」=いじめ

私の兄は両手足の指が1本もない。私も1本しか指がない、障害者手帳1級と2級の兄妹です。私たちが幼い頃は障害者が外へ出るにも偏見があり、出会う子どもたちから心ない言葉でからかわれた。

 ある時、隣家のおばさんが「悪口を言う人が、あなたの悪い所をみな持っていってくれるのよ」とおっしゃった。

 私たちは親の熱意と周囲の善意で普通小学校に入った。いじめられるたび、私は泣きながら「ありがとう」と言った。おばさんの言葉が支えだった。気味悪がられたのか、いつかいじめはなくなった。

 成人して、ジロジロ見る人に友人が腹を立てると、私は「美人だから見ているのよ」と笑う。兄はパソコンで仕事をし、大学非常勤講師。私は「楽しい人だ」と周囲に言われながら、福祉相談員として忙しい日々を送っています。

 人の痛みがわかるのはその人の使命。今いじめられているあなた、どうか誰かに話して下さい。一人ひとりは強くありませんが、味方はたくさんいます。負けないで!(朝日新聞、20120723、投書欄)
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Facebook に紹介された、神奈川県大和市の織戸郁子さん(58)。子どもの頃、まわりから「手なし」とからかわれた辛い経験を持つ。

以前のブログにも書いたことがあるが、私も小学校3、4年生の頃、2人の女の子をいじめたことがある。クラス全体でなんとなくという感じだった。

一人は、聴覚障害の子だった。音が聞き取りにくいため、ちょっと違う発声となってしまうことを、クラスメートとからかった。悲しい思いをさせたと思う。

もう一人は、強度の近眼のため、当時は珍しくなかった厚いガラスの眼鏡をかけていた子。視力のせいか、運動も鈍く、学業面でも「できない子」だった。わたしを含めて、多くのクラスメートから、「○○菌」と忌避された。辛かったと思う。

あの頃に戻って、自分のような子どもを見たら、何て言うだろう。「そんなことをしたら、相手が悲しむよ」? でもおそらく当時すでにわかっていた。悲しませていることを。悪いことなのだけれど、これは許されるのだと何となく感じていたと思う。だから、こう言っても仕方ないだろう。

では、これはどうだろう。「君の思っている正義なんて、まったくちっぽけなもんや。それでお終いと思ったらあかんで」って。ちょっとびっくりするかもしれない。だって、発音が変な子、走るのが遅い子はいじめられても仕方がないと、きっと思っていたから。

自分が瑕疵なき人をいじめたことを認める。そして、言葉にはならなかったけれど、当時の価値基準ではある意味、「当たり前」だったということも。

後になってみれば、本当につまらない「正義」を強調し、自分がそちら側にいることを確かめるために、いじめは起こっている。大津市のケースはまだ事実の解明を待たなければならないが、子どもの世界に限らず、「正義」は満ちあふれているのだ。

ヤクザの正義、会社の正義、ご近所の正義、政党や組合、団体の中の正義、もちろん、子どもの世界の正義もある。それらはより大きな正義に抵触しないかぎり、各々にありうるが、法律や多数派の「常識」といった大きな正義の前には屈しざるを得ない。

昔、住んでいたところでは、お祭り時、集落ごとにある御輿を、新参者には触らせないという不文律があった。これも、ローカルルールとしての正義である。まだ地域の人間になっていない者によって「穢れ」させられてはならないのだ。

こんな風に考えてみると、そもそも正義を立てようとすることそのものが、いじめや排除の元凶になる!? 

この難問を越えられるという方、どうぞお知恵を貸してください。
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by walk41 | 2012-07-27 22:36 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

「会社員」になる練習

子どもを学校外で教えている家人が嘆いている。

「夏休みなのに、朝9時から夕方6時までって部活が入っていて、こちらの時間が取れない」というのだ。

中学生に聞くとどうも、先に時間が決められて、何をするかは後から決まる様子。家人は、「顧問がずっとつきっきりという訳でもなく、生徒間だけでダラダラやってる」と、なかなか手厳しい。

そこで二人して「そうなのか」と合点したのだが、そもそも、「何をする」⇒「どれくらい時間がかかる」というのではなく、「まず時間を確保する」⇒「その時間をどう遣うかを考える」という発想で活動しているのでは。だから、時間を先に「とった」方が優先とされ、後になった方は残された時間での調整に苦労させられる。

部活動はいうまでもなく、教育課程外活動であり、学校のカリキュラムに含まれない。このため、学校の目標を実現するための活動には位置づけられず、いきおい顧問や高校などでは監督の思うように進められがちである。このことが、体罰やハラスメントの温床ともなっている。

こうした曖昧さの問題はここでは脇におこう。ただし、最低必要な時間という意味での「終わり」あるいは「デッドライン」を決めずに物事に取り組むというスタンスが、こんな学校生活を通じて培われるのかもしれない点は重要だろう。

会社あるいは学校でも、何となくのダラダラ残業、定時に帰ることに気後れするような職場、「何時に帰るためには、何をどこまで、いかにやるか」を決めない計画性のなさ、夕方にお菓子を食べるような職場、これは子どもの頃からの、学校での時間の過ごし方が色濃く投影されているのかも。

意外な学校の教育成果、ここにも「隠されたカリキュラム」があるように思う。
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by walk41 | 2012-07-27 16:43 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

「不登校」

ちょっと違うのかもしれないけれど、学校に行きたくないなあ、と思う子どもの気持ち、ほんの一端がわかったような気がした。

昔は多くの時間を費やして熱心に関わった間柄、思い出もたくさんある。けれど、その後たくさんの時間が流れ、今は違う世界にいると言ってもよい状態。そこに、今も仲のいいメンバーで会をセット、集まらないかと連絡が入る。

これまで何度となく、こうした誘いがあった。行ってもいいかなとも思うけれど、とんと久しく会っていないので、気恥ずかしさも手伝う。そして、何よりその場にいることの違和感をイメージしてしまう。

繰り返し誘われれば、かえって億劫にもなる。ましてや、返信メールが未着だったのか、「返事しろ」と乱暴な連絡がまた入ると、今でもそんな口調の間柄やったっけ?と疑問も生まれる。

「来て当然」「何度でも連絡する」「多少無理をしても来たら楽しいはず」、こんな「良心的」な働きかけをしている自分たちを疑うことは、なかなか難しい。ひょっとしたら、こんな気持ちの子どもがいたりして、と思ったのだ。
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by walk41 | 2012-07-27 13:45 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

頭痛が痛い

「頭痛が痛い」は間違い、とよく言われるように思う。

「馬から落馬」と同じく、確かにそうなのだけれど、次のような他に言いようがないものもあるのではないかしらん。

立場に立つ、決着を着ける

一つのルールだけでは、なかなか説明できないってこと、難しいですね。
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by walk41 | 2012-07-26 18:51 | ことばのこと | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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