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先日うかがった小学校でも、授業指導案にあった。「子どもの考えが深まり、発言がつながる授業になっていたか」
ちょっと待った。考えって、どんなこと? 人間の言動の基盤を認知と感情と捉えれば、この片方の認知については、知覚・理解・記憶・思考・学習・推論・問題解決などが認知心理学の対象になるという(wikipedia)。これをかみ砕けば、見える、わかる、覚える、考える、学ぶ、予想するなどとなるだろう。 授業で教師から説明され、見せられ、問われる、あるいは他の子どもの様子などから、子どもは、聞く、見る、話す、読む、感じるのだろう。これがなぜ、考えるという言葉でもっぱら語られるのか、さっぱりわからない。 見せられて、ふーん、そうなんだと知ったり、そういえば前に見たな、と思い出したり。実は美味しかったんだと理解を修正したり、といろんなことが子どもの中で起こっているだろうに、それがどうして考えるという言葉に集約されるのだろうか。 結論を急げば、こうした言葉遣いをしている教師(たち)は、子どもをよく見ていない、あるいは自分の見たいもの(「学び」)?)がどこかにないかを探すことに躍起になっている、とは言えないだろうか。 「学び論」も似たり寄ったりだが、教育実践という言葉を振りかざす人の中には、観察眼が乏しい場合が多いように、私は思う。子どもの思いつきや、なんとなくのあて推量を「意見」や「思考」と言ったり、これくらいならばまだしも、挙手をして当てられることそのものに喜びを見出しているような子ども(当てられると「忘れました」というような)を指して「積極的に参加している」と言ったり、とまさに「鰯の頭も信心から」状態である。そこには、分析と整理がほぼ見られない。 さらに問題なのは、こうしたお喋りを「研究授業」後の「事後研」でやっているからこそ、教員間の意見も乏しく、司会も「何かありませんか」と何のために集まっているのかわからず、終了時間を待つかのような雰囲気すら生み出している(悪く取りすぎ?)学校のあり方である。これが血税を使って運営されている学校の勤務時間中に起こっていること、それが問題視されていないという問題が何より深刻、と強く感じている。 教育長さんでも組合の委員長さんでもいいから、誰か私と対談くださいませんか。本当に今のままでよいのかと。 ▲
by walk41
| 2012-09-30 09:35
| ことばのこと
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by walk41
| 2012-09-29 16:21
| ねこのこと
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今回もドイツ旅行中のアルコールはもっぱらWeizenビール(^^;)、美味しく楽しく飲みました。
この点は厳格という、ドイツ人に与えがちなイメージに適うでしょうか。サイズがきっちり、しっかりメスシリンダーのごとく、ビアグラスに数値とそれを示す線で印がつけられているのです。 普通サイズならば500ミリリットル。この線を越えた量が運ばれてきます。どこぞの国の居酒屋のように「生中」とビールを頼んだら、出てきたのは「生小」だろうという悲しいことはなく、厳密に量が満たされているのです。 このため、泡で消えてしまう分を継ぎ足しするためにも、ビールは何度もゆっくりと注がれます。一回サーバーから注いでしばらく置いておくのですね。だから、けっこう時間がかかります。そのことに気づかなかった大昔、なかなか運ばれてこないことに、外国人だからいじわるされているのではと、トンチンカンな勘ぐりをしたことも恥ずかしながらありました。ということは、すぐに出てくる日本のビールはもっと実質量が少ないということ? どっしり感のあるこのビールは、スモーキーな香りに満ち、ゆっくりとではあるけれど、確実に「もう一杯」への意欲を高めてくれます。とはいえ、日本で飲むスピードとは比べものにならず、まさにじっくり楽しむ時間が取れるという感じでしょうか。これならビールだけでも過ごせる、とは説得的です。 とまれ、旅行客には有り難い円高の影響もあり、レストランで飲んでもビール1杯が350円から400円くらい。買うことはありませんでしたが、安売りを目玉にするスーパーを覗くと、350ミリリットル6本入りで3ユーロ少し、1本あたり60円足らずです。日本よりおしなべて安いのではないでしょうか。これがアルコール依存を招くという指摘もなくはなく…。かくして連日の夜が更けた次第です。いやはや。 ▲
by walk41
| 2012-09-29 07:06
| ドイツのこと
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ドイツに行く楽しみはいろいろありますが、その一つは美味しいパンを食べること。
帰国直前に友人がくれたパンも、日本に帰るといっとき固くなりますが、水をひいたオーブン板を1枚たして、温め直すと美味しく食べることができます。ありがとう、おいしかったよ。 その中でも、私のお気に入りは、Bretzel、8の字型でお馴染みですね。一日経つとずいぶん味が落ちますが、焼いたその日に食べるとたまりません。バターが挟んであれば塩気と相まって、これとワイン、軽い夕食でも大丈夫なくらいです。 東京に出ることがあったときは、ある百貨店においしい店がありましたが、関西ではまた見つけられていません。ドイツで修行したオーナーが、と紹介されていた店があったので買いに行きましたが、正直がっかりでした。情報お持ちの方がおられたら、ぜひ教えてください。 えっ、それは現地で食べるしかないって? そうなんですね。あの気候のもとで食べるからこその面もあるのでしょう。かくして、また行きたいなと思わされるのです。 ![]() ▲
by walk41
| 2012-09-27 09:20
| ドイツのこと
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皆さま、お久し振りです。この間、南ドイツの学校と大学を訪問していました。向こうではそろそろコートをという雰囲気ですが、日本に戻るとまだけっこう暑いですね。
さて、今回の学校訪問で強く思ったことのひとつは、保護者(Erziehungsberechtige)の権限の強さです。学校にいつから通わせるか、どの学校に通わせるか、あるいは入学に際しての学校との「契約書」交わしなど、子どもの教育に関する第一責任者として位置付けられていることを感じました。 もちろん、移民の背景を持つ子どもも多いので、学校には言語上の問題ほか、負担も大きいのですが、子どもの教育は保護者の教育権により左右される、と感じた次第です。 このことを強調すれば、「保護者、地域」とひとくくりにされがちな日本の教育権限関係のおおらかさ、あるいはいい加減さは、いかばかりでしょうか。あと知恵になりますが、教育権の主体が「国民」か「国家」かという議論が、いかに幼いものであったか、この点である種の割り切りをしているように見えるのがドイツに思えます・ 日本の教育権の主体は、あるいは複数の主体の関係は? このことを問い直す上でも、保護者ではなく、教育権者と呼んでみる思考実験が必要ではないか、そんなことを地球の裏側で考えました。 ▲
by walk41
| 2012-09-26 22:07
| ドイツのこと
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いつも拙ブログをご覧くださり、ありがとうございます。
これから10日間ほど出張に出るため、ブログの更新ができません。戻りましたら、いつものペースで綴っていきたいと思いますので、それまでは過去の分をお読みくだされば、大変ありがたいです。 では、しばしお別れを。 ▲
by walk41
| 2012-09-15 23:42
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mittyさま、お久しぶりです。
2つのコメントからお困りの様子が、それなりにわかるつもりです。生徒に勉強をさせたい、でもやる気なし、なのに管理職は口うるさいと、目に浮かぶようです。 これに対して、決して妙案を持っている訳ではないのですが、ものごとは意外性があってこそおもしろいと言えるならばと、こんなイメージが湧きました。 「君らがいま思ってる世の中なんて、ニセモノかもしれんで」「なんでそんなこと言うんかって? だってそうやん。いつまでも君ら、高校生でおるわけちゃうわな。高校生のあと何になると思うねん?」「フリーター? 甘いな。そんなんとちゃう。なるんは、おっさん、おばちゃんや。これは絶対に避けられへん。だってこれまで誰一人、間違いなくそうなってるからな」「そやから訊きたいんやけど、どんなおっさん、おばさんになるねん?」「まず、自分で食べなあかんわな、そうせんと、おっさんになる前にこの世とおさらばやし、ラッキーでも路上暮らしや。そんな姿、さらしたいか」 「それに、できたら他者から、ちょっとはかっこええな、と思われる方がええやろ。ほんなら、何すんねん?」「職業に貴賎はあらへんけど、かっこええ仕事っちゅうんは、自分で思ってるだけではあかへん。他人様がそう思わなあかんねや」「なんでって? その辺がわからんあたりが勉強せなあかんってこっちゃ。ええか、離れ島にひとりたどり着いたとするやろ。自分の他、だれもおらへん。ほんなら、誰よりかっこええとか、ブスとか気にしてもしゃあないやろ。そうやねん。自分はこんな人間やって決まるのは、他の人がおるからなんやで。おもしろいやろ」 「せやから、かっこええ自分になるためには、他人様にかっこええなって思われなあかん。自分だけでもそう思ててええねん、て言うかもしれへんけど、それって自分でもちょっと無理してると思うやろ。自分しか思えへんなんて、タダのアホやからな。誰かに認められへんかったら、自分なんて成り立たへんねや」「だから、不細工よりかっこええ方がええわて思うんやったら、他者のために生きなあかん。自分のためとちゃうで。ここは大きな違いやからようわかっときや」「自分のために頑張れ、って言われてもやる気はでえへん。そうやなくて、他者のために頑張ることが、まわりまわって、あの人かっこええわって思われることなるんや」「ええか、どんな自分になるかっていうのは、どんな風に他人様に見られる人間になるかってことなんやで」 「せやから、そんなん俺の勝手や、とか、私の好きに生きるねん、とかいうてても全然あかんことになるやろ」「これはむちゃくちゃ、哲学的なおもろい話なんや。自分って実は他者が作るイメージに沿わなやってられへんていうこと」「これって不思議やろ、せやから、ちょっとムカつくかもしれへんけど、まずは他者の目をむちゃ気にして、ええ子やなあって思われるように生きてみ。それが勉強するってことにつながるんや」 こんな話で済めばお安い話なので、思いつきということでご容赦のほどを。 いずれにせよ、何か私が言えるとすれば、生徒が今のように振る舞っていることを、それなりに合理的な結果と捉えること、それはおかしいと済ませるのではなく、彼らが依拠している物語の特性をつかみ、それとは別の筋書きを示す、もって、違う合理性(もっともらしさ)へと乗り換えさせることで、多少なりとも彼らを変えられないかな、ということです。 くれぐれもご自愛くださいね。 ▲
by walk41
| 2012-09-14 23:23
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NHK, 総合診療医、ドクターG、「だるくてぐったり」を取り上げる。
カンファレンスを経た最終診断は、副腎不全。今回の患者は、ぜんそくの関係で日常的に外からステロイドホルモンを取り入れた結果、副腎が萎縮してステロイドホルモンを作り出さなくなったことが原因と判じられた。 ここでは、環境に適応して自身の機能が変わってしまうことが「学習」と位置づけられる。つまり、学習とは環境への順応であり、異なる環境で違う反応をしたことが、生体そのものを危険に晒すことになったのだ。 かたや、学校教育の議論は、すぐに「良いこと」「悪いこと」と価値化されがちで、よく見つめ、分析するという姿勢に欠けやすい。このためだろうか、学習するとか学ぶということが疑われないままに、即、良いことと扱われて、いかに学ぶかと方法論に終始しがちだ。 でも、学習するあるいは学ぶということの良い/悪いは立場により一様ではない。これを環境適応と捉えれば保守化になるが、それを望ましいと思う人もいればそう思わない人もいる。「子どもが自分で気づく」とか「錬りあいを通じて高める」とか謳いあげても、大人が用意した路線に乗っているだけとみれば、学ぶとは何と悲しいことだろうか。 「いやいや、これまでの環境適応に留まらない学びもあるんですよ」という人がいれば、是非たずねてみたい。自分の手中に収まらないような「学び」がどうしてそれとあなたにわかるのか。それとわからないからこそ、革新的であり、新しい学びではないのか。 つまり、大人や教員側から見て、「学んでいる」なんていう事態は、お釈迦様の掌のごとく、自分の視野に収まっているような、目新しくなく、よって怖く恐るるに足るものでも決してない。 そんなママゴトのようなことについてお喋りに興じても構わないけれど、それが学説だとか、静かな革命だとか、およそ似つかわしくないような言葉遊びは即、止めよう。これまで革命を結果的に成し遂げてきた人たちに対する、冒涜にもなるのだから。 ▲
by walk41
| 2012-09-14 22:36
| ことばのこと
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職場の前をよく通る、自動車学校の送迎バス。正面に大きく"license" と書いてある。自動車運転免許のことだろう。
末尾の "se" が少し気になったので、改めて辞書を引くと、"license"(米語)"licence"(英語)とあるではないか。なるほど。 フランス語では"licence"、ドイツ語では"Lizenz"、c,s,z,と微妙に発音が違うけれど、似たようなものと言えば言えなくないように思う。間違ってる? 語学の勉強もやっぱりなあ。「正しく」覚えるよりも、「だいたいこんな感じ」で覚えておく方が、後々よいのではないかしらん。つまり、「正しさ」にどれだけ近いかどうかで評価するようなテストだけではあかんということちゃうの。 なのに、学校では「正解」「正答」が相も変わらず連呼されている。これって、はたして学力向上につながってるんやろうか。 ▲
by walk41
| 2012-09-14 17:07
| ことばのこと
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大阪市教育委員会は、公募していた市立小中学校の校長ポスト(定員約50人)に、国内外から1282人の応募があったと発表した。
同市長はこれで改革に弾みをつけたい考えだが、おそらくうまくいかないだろう。なぜなら、学校で行われる教育-学習という活動は、最終的には児童・生徒と、あるいは教員と接する「最前線」の当事者でしか決めようがなく、さらには彼らですらどうしようもないことも多々あるからだ。なのに、校長がこう決めたら、教室や体育館での現実がそのようになると考えるのは、あまりに幼いというべきだろう。 たとえば、子どもの学力向上をこれだけ図る、と目標を立てたとしよう。そのために、授業時数を増やしたり、より丁寧な指導案を出させたり、校長が教室を頻繁に回るくらいまではできる。しかしながら、だからといって、それが学力向上につながるとは言えない。授業が増えて子どもに嫌気が差したり、指導案づくりに教員が疲れてしまったり、校長が教室に入ることで雰囲気が変わったりするかもしれないからだ。 このように教育-学習という活動では、モノ相手の仕事と違って、学校内外のあれこれが影響を及ぼしあうので、ある出来事の起点を特定できず、当事者ですら事態の推移を読み切れない、「瓢箪から駒」、「風が吹けば桶屋が儲かる」ことがしょっちゅう起こる。教員や児童・生徒がどうなるかわからないことを、この活動から離れていざるをえない校長(何しろ、校長は授業をする権限を持たないのだから)がどう振る舞っても、考える方向に事態が進むとは言い切れない。 校長のできることは、遠目にそれぞれの教室を眺めて、あまりに近いために見えにくくなっている(「灯台もと暗し」)教員に対して、メタ的な立場からのアドバイスを通じた、視野を広げるサポートであって、「こんなふうにしたら上手くできる」などとやり方を伝えることではない(榊原禎宏「学校組織構造のメタファー」2008、を参照)。 だから、校長の権限強化ができるのは、対教職員ではなく、教育委員会との関係についてである。たとえば財務。児童生徒ひとりあたりの公教育費は約100万円だから、究極的には100万円×生徒数の予算を学校に移譲して、学校での一切合切を校長の責任に委ねる。もちろんそのためには、今のような1校あたり2~3年で校長が替わる人事異動は廃止、最低でも10年くらいは同一校勤務とする。よって、50歳を越えて校長になることはできず、できれば40歳くらいまでに校長になって、10年ずつ2校を経験するという感じにする。この結果、校長になれる教員は今の数分の一へと激減する。また、学校管理職になる前に、主任や主幹教諭を経るとすれば、それらに30歳代半ばにはつかなければならない。新規採用から10年ほどでそんなことは可能だろうか(榊原禎宏「新たな職の導入と学校の組織力」2010、を参照)。 さて、こうした案に対して、校長会は黙っているだろうか。あるいは今の職位制度は維持できるだろうか。何よりも「日本的」な教員のキャリアパターンに適うだろうか。おそらく難しい。 かくして、校長の権限を強めるというアイディアは、政治家のスローガンまでに留まり、現実味を帯びないことがわかる。やりたくでもできないのである。 ▲
by walk41
| 2012-09-14 07:06
| 学校教育のあれこれ
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