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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

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なんという暴論 unglaublich!

いじめ放置した教員は「懲戒」…改正法案提出へ

1/26(土) 17:24配信

読売新聞

 いじめを放置した教職員を懲戒処分の対象とすると明記した議員立法「いじめ防止対策推進法改正案」が、28日召集の通常国会に提出される。与野党の賛成多数で可決、成立する見通しだ。

 改正案は、自民、公明、立憲民主、共産各党など超党派による「いじめ防止対策推進法に関する勉強会」(座長=馳浩・元文部科学相)が近く取りまとめる。いじめ防止の強化、徹底が最大の狙いだ。

 条文の素案では、いじめ防止対策を「学習指導等と等しく重要な事務」と明記。いじめ防止を教職員の義務と位置付けた。現行でも、いじめをめぐり教職員の悪質な対応があれば、教育委員会などが認定し、地方公務員法に基づき処分している。いじめの放置や助長などが処分対象になると明示することで、「いじめ問題に関心が薄いケースが多い」との指摘もある教職員の意識改革を促す狙いがある。

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詳細がわからないけれど、この記事の限り、なんと乱暴な話かと思う。①「いじめ」認否をいじめを受けた側に委ねる一方、②児童・生徒を四六時中管理することができずに、③「放置」「悪質な対応」など定義が難しいこと、を法律にするなど。

この図式を、いま流行りのカスタマーハラスメントに当てはまると、客が他の客から嫌な思いをさせられたと思い、この状態を放置したら、従業員や店側が処分されるということか。

こんなことがおかしい、と思わなくなっているほど、国会議員の「学力」は低下しているのだろうか。「いじめ」は決して推奨されるべきことではない。けれど、クラスやその他集団の「公共の福祉」のためにある人が忌避される、さらには攻撃されることは残念ながらありうる。

たとえば、家庭事情からか臭いがする、服装も汚い子がいる。あるいは、なぜかわからないが、決めた約束を守らない子がいる。また、ウソを意図的に流す子も、悲しいことではあるがありうる。その結果、こうした人物を周りのみんなが避ける、これは、被害少なく生きるための知恵、「生きる力」の発揮である。

これに対して、自分は「いじめられた」と訴えが起こる。ここで教員や学校はどうすればいいのか。「嫌かもしれないけれど、クラスの仲間なんだから、仲良くしなさい」などと言おうものなら、言われた側が教員にいじめられる構図になる、教員が加害者になってしまうなど、まったく愚かなことである。

「いじめは絶対にいけない」という思慮の足りない、ナイーブな正義の発現が、最前線にいる教員、学校、教育委員会を困らせる。これこそ理不尽な「いじめ」ではないだろうか。


by walk41 | 2019-01-31 00:45 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

危機的な実科学校 Realschulen in Not

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「悲惨なドイツの教育」という雑誌の特集が組まれたことを、随分と以前に記したが、「溢れる課題の生徒、過重負担の教員」と題した上の記事も衝撃的である。

実科学校は5〜10年制の中等学校で、同教育修了資格を得たのち、ギムナジウム上級段階を経て大学進学も可能である。同記事では、2016年に発表された新しい学習指導要領のもと、この学校種が困難に陥っている様子を、次の点から示している。

①生徒の変化は望ましくない方向に向かっており、依存心が高い、目が離せない、乱暴で教員に対する敬意に欠けるケースが見られる。休み時間、他の生徒を殴った生徒に教員が「止めなさい」と言うと「止めないよ。俺の名前を知っとけよ。俺はHakan(トルコ系の名前)だ。」といった具合である。こうした生徒たちは、教科を学ぶ準備がまだできておらず、まずは社会的振る舞い(Sozialverhalten)を身につけなければならない。また、保護者の中にはドイツ語が通じない、学校にお任せの態度を取る、保護者面談ができるだけで幸運、といった事態も生じている。

②基礎学校4年生時に行われる、「中等学校に関する基礎学校による推薦」(Grundschulempfehlung)が、制度改変によって拘束力を失ったため、実科学校にふさわしい生徒は全体の54.9%に過ぎない。残る34%は学力が低位な基幹学校あるいは職業実科学校を、7.6%がギムナジウムを、そして3.5%が特別支援への進学を推薦されるべき生徒が、実科学校に在籍している。つまり、基礎学校による成績評価では、実科学校に来るべきではない生徒が三分の一以上を占める。

③オリエンテーション期間として新たに設定されるようになった5〜6年生の2年間は、実科学校レベル(中間レベル)に即して授業が行われるため、低位な学力の生徒には効果的とは言い難い。生徒が到達すべき学力が、基礎レベル、中間レベル、上位レベルの三種類に分けられているこの州において、基礎レベルの生徒にも対応できるように生徒の分化がなされるのは、7年生になってからである。これでは遅すぎるという見方がある。

④こうした大きく変わった、中でも生徒が変わった実科学校において、クラスあたり25人の生徒は多すぎるというのが、教育科学組合(GEW)の立場である。スクールソーシャルワーカーは十分ではなく、「多様な生徒とどう向き合うか」という研修はすぐに定員に達してしまい参加できない、“Poolstunde“(学校裁量の時間、週あたり1時間程度で、学級担任に委ねられる場合もある)は改善策だが、教員がその時間を確保できなければ十分な仕組みとは言えない、と。

⑤教員の病気罹患率はこれまでになく高く、代替の授業も日常的な現在、教員ほかより多くの資源が必要である。記事はこう締めくくっている。「ある女性校長は言う。学校のレベルが下がることに注意しなければ。ここが実科学校であるために、そしてこれからもそうあるために私は戦っている。それが私たちの仕事だ、と。この一方で、匿名を条件に取材に応じてくれた2人の実科学校教員は言った。この年代の生徒が労働市場に出る時期に、最初の一撃が来ることだろう。それは次の年度の終わりかもしれない。」

中等教育段階での、生徒の変化、多様性や学習意欲、学校としての水準と学力保障、保護者との関係、学校裁量など、日本に引きつけて考えると、どんなことが見えてくるだろうか。






by walk41 | 2019-01-30 18:29 | ドイツのこと | Comments(0)

時間的にゆとりのある暮らし Leben mit viel Zeit

時間的な意味で「ゆとりのある暮らし」と聞いてどんなイメージを持たれるだろうか。「のんびり過ごすさま」を思い浮かべられたなら、これは「余裕のある暮らし」とも言えるだろう。

似たようなことを以前にも記したが、この地、南ドイツに多様な人々が暮らしているからなのか、なんとなくの基準がそうだからなのかはわからないが、物事を一つ進めるのに予想以上の時間、つまりは手間暇がかかるために、余裕のある暮らしを強いられざるを得ない。言い換えれば、余裕なく予定を次々とつもりしていても、なかなかそのとおりにはコトが進まないので、「余裕のない暮らし」をしようとするのは、いわば自殺行為になる。

例えば、一日に複数の約束を取り付けるとする。けれども、鉄道が遅れて予定時間に目的地に着かないのは当たり前だし、なぜかレジスターが不調で会計を終えられず、店を出られなかったりもする。もちろん、店に行ったら突然の休業日ということもある。あるいは、約束をしていた人が土壇場でキャンセルすることもある。

こうした、南ドイツに住む人々(もちろん、ドイツ人とは限らない)やそこでの暮らしぶりを垣間見るに、「余裕のある暮らし」は望んでそうなっているというよりも、そうならざるを得ないことがわかる。返せば、「ゆとりのない暮らし」が可能なのは、予定通りにやってくる電車やバス、あるべきところに置かれている商品、時間を基本的に守る人々といった条件が整っているからである。

だから、いささか皮肉なことではあるけれど、「ゆとりのある暮らし」を望むのならば、ゆとりを要する社会の仕組みや人々の心性を育むことである。「そんなにたくさん予定を入れても、どうせ全部はうまくできないからね」とみんなが了解することである。

この方向を取らずに、「決めたとおりに実行しよう」とか「より良くできるようにどんな工夫ができるだろうか」とPDCA サイクルやカイゼンを強調すると、「ゆとりのない暮らし」が可能になる。この点で、私たちは果たして「ゆとりのある暮らし」をどれほど望んでいるのだろうか、と尋ねることもできるだろう。

by walk41 | 2019-01-29 02:52 | ドイツのこと | Comments(0)

外が好き er mag draußen

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小雪が舞い、ベンチにはすでに積もり始めているにもかかわらず、外に座っている人がいます。タバコを吸うためでもあるのでしょうが、この寒空になぜ、と思わざるを得ません。

大学でも授業の間、学生が大きく窓を開けていたりします。とても寒くなるのですが、新鮮な空気を求める方が強いのでしょうね。

Trotz es schneit, setzen sie draußen auf der Bank. Wegen des Rauches zwar, aber ich verstehe nicht das in dieser Kälte.

Auch in der Hochschule, machen Studentinnen mitunter das Fenster klar auf. Es wird einmal sehr kalt, jedoch möchten sie lieber frische Luft.

by walk41 | 2019-01-29 00:24 | ドイツのこと | Comments(0)

ゲマインシャフトの意味 Bedeutung der Gemeinschaft

友人のクルマに乗っている最中、“Dorfgemeinschaftshaus“ という標識を見た。「村のゲマインシャフトハウス」である。彼が住む人口数万人の市街には、こうした施設はないと聞いたが、ゲマインシャフト意味を考える好材料だと思った。

つまり、これを即、共同体と見なしてしまうと乱暴だろう。上の標識は、村の住人が集う場所、いわゆるコミュニティセンターと解していいだろうから。「共同利用」の施設と見るのが妥当ではないだろうか。

同じように、社会的と社会主義的、の区分も難しい。共通するところもあるだろうから。ドイツ語でも、社会的(sozial)という言葉はあまねくつかわれており、“Sozialwohnung“(低所得者用の住居)、“Sozialengagement“(いわゆる恵まれない人たちのための活動)とある。

いずれも、わかったつもりにならないで、言葉を丁寧に考える癖をつけたいと思う。

by walk41 | 2019-01-27 21:57 | ことばのこと | Comments(0)

目立つ auffällig

読売新聞のHP中「発言小町」の一つに、これからドイツに留学するのだが「ゆるふわ系」の服を着ていると彼の地で目立つだろうか、との問いかけがある。https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2019/0123/883880.htm?g=01

色々なアドバイスがあるが、「日本でこれは目立つでしょうか」という問いがあまり意味を持たないように、都市部か田舎か、夏か冬か、昼か夜か、社会的地位や階層はどうかと、その基準は変わりうるから、一概には言えない。ただし、「目立つ」ことが自分と人々の眼差しの投影だと見るならば、おそらくドイツという地域では、どんな格好をしていても「あまり目立たない」と言えるだろう。

つまり、目立つことを、①「周りを見渡して、自分が違和感を持たれているのではないかと感じる」という自分の自身への眼差しと、②「ある人に対して違和感を感じる」という他者の眼差しを指すとすれば、①については「どう思われるか」を気にする度合いは低いだろう(「他者にどう思われるかを気にしない能力」が高い)。また、②については、当たり前に色々な人がいるので、自分と違うことに対する閾値が高いと思われる(「自分と違っていることを気にしない能力」が高い)。つまり、自他ともに「気にしない」能力が高いので、その結果「目立つ」ことは少ないと帰結できる。

学生にもよく話すことだが、事実は山のようにあるのに、そこに眼差しが向けられなければ認識されることはない(「人のいない森では、木が倒れても音は聞こえない」)。そして、眼差しは優れて社会的に成立しており、客観的なレンズのように現実を切り取る訳でもない。

たとえば、日本に長く住んだ人は、ドイツ在住の人をそれなりの数、見なければ、個人を見分けることは極めて難しい。生活の中で馴染むことでようやく個体識別できるようになってくることは、いつでも「顔を見ればわかる」訳ではないことを示している。これらの整理の上に、どのような問題が成立するかが整理されるべきだろう。

「目立つ」も同じである。違いに敏感であれば目立つだろうが、そうでなければ目立ちようもない。より客観的に問題が存在するのか、それとも、より主観的な問題として扱われるべきなのか、中身に入る前に問われるゆえんである。


by walk41 | 2019-01-26 22:06 | ドイツのこと | Comments(0)

教育修了資格を持たずに学校を去る Schulabgänger ohne Abschluss

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以下、Norddeutscher Rundfunk https://www.ndr.de/themenwoche/gerechtigkeit/Schulabgaenger-ohne-Abschluss,schulabgaenger108.html 20181114記事から(16の州ごとの率〔水色が女子、黄緑が男子、黒が平均〕を示す上のグラフも)。

ドイツ連邦教育報告2016によれば、9年間の学校教育を終えて得られる基幹学校修了(Hauptschulabschluss)の資格すら持つことなく学校を去る者は、約49000人、同一年齢人口のおよそ6パーセントに上る。

これらは、次の点で特徴的である。①州にもよるが、女子に比べて男子の割合が1.5倍程度と高い。②旧西ドイツの州に比べて、東ドイツの州での同率が高く、たとえばSachsen-Anhalt 州の場合、およそ10パーセントに達する。また、同州のMansfeld-Südharz郡では14.4%である。
——

このことを修士論文のテーマにしたいという学生の発表を、大学で聴いた際にも質問したけれど、これは客観的な学力水準の問題なのか、それとも、教育修了資格を持っていないという烙印(Stigma)がもたらす問題なのか、を区別する必要があるだろう。

なぜなら、日本を例に引けば、義務教育段階を終えて中学校卒業資格を持たない者は、統計的にはまずいないものの、その実際とは異なっている。つまり、いわゆる基礎学力を持たない者も義務教育を終えたという「予定調和」の立場から、学校教育法に定める進級・卒業認定が遵守されていない。けれど、この措置は表向きとは言え、中学校卒業資格、さらには高校卒業資格すら認めている点で、彼ら/彼女らへの「落伍者」というスティグマを回避している点で賢明とも言える。けれども、客観的な学力として問題がないという訳では必ずしもない。

2006ー2016年で見れば、教育修了資格を持たない者の割合は、同一年齢人口の概ね5ー6%、ドイツ国籍を持つ者は全体の8割弱を占める。つまり、このテーマは「外国人」生徒の問題だけに関わる訳ではないことも示している。基本的な読み書きが困難な人が多数いる状況と合わせて、とても看過できない事実だと思う。

Nach dem Bundstatistik im 2016 ist die Zahl der Schulabgänger ca. 49000 und etwa 6% im gleichen Alter. Der Fakt zeigt zwei Punkten. Ein lautet dies betrifft mehr Jugend als Mädchen, ca. eineinhalb mehr. Noch gibt es große Unterschied zwischen Ländern. Als Trend sieht man mehr Ost-Länder, wie Sachsen-Anhalt.

Auch mit dem Thema des Alphabetismus sollen wir uns überlegen, ob dieser Fakt Problem um Alltagsleben, oder um Stigmatisierung. Auf alle Fälle soll es keinerlei Thema, das wir nicht verpassen dürfen.


by walk41 | 2019-01-26 14:12 | ドイツのこと | Comments(0)

衝撃的な事実 entsetzter Fakt

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今回、ドイツに滞在するまでまったくと言っていいほど知らなかったこと、それは、日常生活で必要な読み書きができない、機能的非識字(funktionaler Alphabetismus) に当てはまる人が相当数いるという事実だ。以下、ドイツ連邦政府の教育・研究省が2018年8月に作成した、写真のパンフレットでは、次のように説明されている。

2012年に公表された、ハンブルク大学による“Level-One Studie“(レベル1研究)によれば、機能的非識字は、狭義の非識字および不十分な書き能力と区別されるが、これらすべてを合わせると、ドイツ人に住む成人の約25パーセントが、基礎学校(4年間)で教えられる筆記コンピテンスを持っていないことが明らかである。

このうち、およそ230万人が狭義の非識字であり、彼ら/彼女らはいくつかの単語の読み書きはできるものの、それは文章すべてではない。日常言語であっても、彼らは文字を繋げなければならないのだ。また、さらに300万人は、機能的非識字者のできる筆記コンピテンスを下回っている。彼らは、いくつかの文章を読み書きできるが、すべてのテキストは理解できない。そのため、ふさわしい社会的・経済的・政治的な参加から様々に排除されている。(機能的非識字の750万人を含めた)これら約1300万人のドイツ在中の成人が、必要とされる言葉を、不十分にしか書くことができない状態にある(以上、同パンフレット6ページ)。

この値は驚くべきことではないだろうか。調査対象は18歳から64歳なので、人口比で考えれば1300万人は、まさにドイツに住む成人の4人中1人になる。また、機能的非識字については7人に1人の割合である。この話をしていた時に、大学の同僚に「日本ではこうした問題があるのか」と尋ねられたものの、恥ずかしながらそれすら知らない。ドイツ状況についても勉強して、皆さんにも少しずつだろうが、お伝えできればと思う。



by walk41 | 2019-01-26 00:25 | ドイツのこと | Comments(0)

間投詞 Zwischenruf

「なんて言うかなあ」というとき、知らず知らずのうちに「えーと」と、日本語話者は話さないだろうか。この様子をドイツ人の友人は、笑って見ていたりする。ドイツ語話者には無縁の間投詞だからだ。いつの間にこんな表現を身につけたか知らないが、こうした曖昧なことばも、自然発生のものではなく社会的な所産だと知らされる。

では、ドイツ語ではどんな表現が当てはまるんだろうと尋ねると、“sozusagen“かなと大学の同僚が応えた。英語で“so to say“に近いと思う。なるほど、では似たような表現で、“sag mal“ という言い方もあるけれどと話を振ると、それは子どもっぽい言い方かなと。へえ、じゃあたとえば、「ねえねえ」という子どもことばと「何と言うかな」という大人ことばとの違い、という辺りだろうか。

ひょっとして、ドイツ語をわかったつもりで、「何て言うかなあ」の意図で“sag mal“なんて言う、植民地根性丸出しの人はいないかしら。きっと格好悪いことだから、気をつけてね。

追記、大学で飛び交う言葉を耳にしていると、「えーと」というニュアンスによりふさわしいのは、“wie sagt man..“、英語なら“how do I say?“という感じかなと思います。そして、“sag mal“はむしろ、「本当に?」「冗談でしょ」という意味合いの強いことも知りました。

by walk41 | 2019-01-25 01:57 | ことばのこと | Comments(0)

カーニバル Fasnet

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地元紙に特別版が入りました。カーニバルのお知らせです。

もともとはイタリアから入ってきたカーニバル、南ドイツの各地で、多くは2月半ばから3月上旬にかけて、写真のような一見おどろおどろしい様相で人々が、太鼓を大きく鳴らして街を練り歩きます。興味深いのは、かなり小さな街でもそれぞれに地元メンバーがお祭りすることです。カーニバルは、冬の寒さを一掃して春を呼び込む祭とも聞きます。春はまだ遠いですが、気持ちだけでも先に行きたいことの表れでしょうか。

Die lokale Zeitung hat Sonderveröffentlichung für Fasnet. Interessanterweise auch wenn eine kleine Stadt, sogar ein Dorf wäre, wird sie jeweils organisiert. Ich höre diese Fasnet bläst den Winter und ruft den Frühling. Selbstverständlich steht der Frühling noch fern, dennoch möchte man sicher ihn vorher fühlen.

by walk41 | 2019-01-24 18:50 | ドイツのこと | Comments(0)



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
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