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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

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「まだ習ってない」と学習意欲を削ぐ教師

「漢字の読みと書きについては,書きの方が習得に時間がかかるという実態を考慮し,書きの指導は2学年間という時間をかけて,確実に書き,使えるようにすることとしている。また,漢字の読みについては,当該学年に配当されている漢字の音読みや訓読みができるようにすることとしている。なお,第6学年に配当された漢字の書きについては,当該学年において漸次書き,文や文章の中で使うとともに,中学校の第2学年までの間で確実に身に付け,使えるようにすることになる。」(学習指導要領2017年告示、小学校国語編解説)


行政文書にはこれだけのように見えるのだけれど、なぜ今でも横行しているのだろうか。「まだ習っていない漢字はつかってはいけない」という教師(たち)のマイルールが。

http://mfujin.blog.jp/archives/namae_hiragana_majiri.html
には、このことが上手く描かれている。

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「読めない子がいると不公平」といった悪平等の信者? あるいは、「自分より知っている子どもがいるかもしれないことへの恐怖心」から来る教師の優位性の確保? 理由はわからないけれど、学習指導要領にもそぐわない不合理な信念は、迷惑なことこの上ない。

①「働き方」改革や「学力向上」と叫ばれているのに、無駄なエネルギーを注ぐとともに、児童の学力向上にも貢献しない行為である。

②教員が、学年にそぐわず漢字を書いてしまうと、「先生、それまだ習ってないで」と学校過剰適応の児童の跋扈を許すことになる。

③この漫画にあるように、まったく不要なことで児童の困りや児童間の軋轢を生じさせることになる。

④自分の名前を漢字で書いてはいけないと教員に言われたため、長らくひらがなで自筆を貫いた、いまは成人した人がいる。

こんな不文律が横行しており、校長や教育委員会、文部科学省もやめさせることができない、「教育上の自由」が存在するのならば、いかにこれを上手く行使するかが各教員に問われる。お願いだから「何となく」することを、できるだけ減らしてもらえないだろうか。



by walk41 | 2019-04-30 11:11 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

~派というのなら wenn man ueber den Kalendar nach seinem Geschmack spricht

71歳男性の投書、自分はこれからも元号派と記している(20190427、中日新聞)。

「派」と言われると、個人の好みになってしまうのでお好きにどうぞ。いろいろあり得るのに、元号か西暦かの二択しかこの御仁にはないことを残念に思う。

先日の拙ブログに書いたが、別に西暦でなくても、ヒロシマ74年とかフクシマ8年でもいい。新幹線55年なんかもいいなあ。年中行事にするのなら、毎年、新しい数え方にしたらどうだろうか。いつも「元年」で気持ちあらたになること間違いない。

こんな風にいろいろあっていいのだけれど、他者と了解しあうための道具として、ある数え方をしているのだから、できるだけ多くの人にわかってもらえる方法がいい。そしてグローバル化している社会なのだから、西暦が妥当ではないのかしら。もちろん、キリスト教万歳なんて話ではさらさらないよ。

どんなものを引っ張り出そうが、伝わらなければ仕方がない。あるいは、わかってもらえるかもしれないけれど、換算をしなければいけない手間を相手に強いる点で、すこぶる優しくない。「自分はこうだから」は我が儘である。忙しい世の中、何が悲しくて貴重な時間をそんなことに費やさなければならないのだろう。

元号について一言するならば、そもそも、当のこんどの天皇に直前に知らされるような、天皇軽視の作り物を指して、何がめでたいのだろうか。さっぱりわからない。おまけに不便。ちなみに、元号が社会的機能を持つ上で不便極まりないのは、明治以前からである。たとえば、明治天皇の父、孝明天皇の時などは、彼の父、仁孝天皇が亡くなったけれど改元をせず、くわえて自身の在位中は7つも元号を遣った。まあ、アバウトなものである。こんな大らかな記号をありがたがって遣いたい人は、まさにお好きにどうぞ。でも、私には関わらないでね。

みなさん、お店に並んでいるけれど、何の役に立つのかわからないものを、これはめでたいと、わざわざ買いますか。



by walk41 | 2019-04-29 12:20 | ことばのこと | Comments(0)

丁寧すぎる zu hoefflich

宅配便の再配達を頼んでいたのに、うっかり出かけてしまい、受け取ることができなかった。急いで運転手さんに電話をする。

「すみません。もし近くにおられたら、持ってきてもらえませんか」と伝えたら、「すみません、もう行かなければいけないので」と返されたので、きょうはもう無理かなと思いかけたら、「2時から4時のお届けとなりますが、いいですか」と言葉を継がれた。びっくりしていると、「お時間を頂戴して申し訳ないです」とまで言われた。

とんでもない、時間をもらっているのはこちら、せっかく再配達に来てもらったのに、申し訳ないことです。

こんな応対、業務マニュアルにあるのかどうか知らないが、過剰というべきか、丁寧にすぎるサービスに改めて驚かされる。


by walk41 | 2019-04-27 13:48 | Comments(0)

血液型 O型 Blutgruppe 0

ドイツの友人と血液型の話になった。そして、「O型は…」という件になったとき、知ったのだ。ドイツ語では、「O」(おー)ではなく「0」(null)と呼ぶことを。

考えてみれば、なぜ日本語ではこの血液型をアルファベットで呼ぶのだろうか。A型、B型の並びで自然なものと思っていたのだろう。けれど、ところ変われば、似ているようにも思うが「ゼロ」という名称が与えられているとは驚いた。

ひょっとしたら、O型がそう呼ばれているのは、誰にでも血液をあげることができる、自身は無垢という意味から来ているのかも、なんて思いついたことだ。きっと違うだろうけれど。それにしても、馴染んでいるはずの用語がこうも違うことを、面白いと思いませんか。

by walk41 | 2019-04-26 08:46 | ことばのこと | Comments(0)

公共性は「マナー」だけの話ではない Oeffentlichkeit bedeutet nicht nur Sitte, sondern auch Gewohnheit,Gerechtigkeit

公共性について授業で話す。その後の学生の感想の多くは、様々な公共性を想定することができることに気づいたというものだが、教育系大学ゆえかどうかはわからないが、「公共のマナーを守っていくべき」といった不十分な理解も見られる。

公共性とは、その世界で了解され公認された、発想、仕組み、行為を包括している。そこには、「公共のマナー」ももちろん含まれるが、それは「お行儀良くしましょう」といった話に留まるものではない。

たとえば、入れ墨(タトゥー)という作法は、公共性とどんな関係にあるだろうか。身体に意図的に傷をつけることを良しとしない公共にあっては、これは忌むべきことであり、入れ墨をしている人は「危ない人」と排除される。あるいは、何も問題にならない公共もありうるし、反対に、身体表現として奨励される公共であれば、入れ墨をしていないことが「危ない人」となり、冷たい視線を浴びることになる。

あるいは、ホモセクシュアリティを認めない公共もある。スマトラ島のブルネイでは、同性愛者を死刑とする憲法が発効、国際的な人権団体などによる批判に対して、同国政府は「尊敬と理解を求める」と反論している。そこで「行儀良くしている」ことは、自身の性辞任や性志向に反すること、自分らしく生きることを諦めなければならないことでもある。ヘテロセクシャリティが「正常」という公共にあっては、LGBTQを認める価値観、仕組み、行為は厳しく攻撃される。

はたまた、議会制度(代表制/間接民主主義)を認める公共にあっては、選挙は必要な機会と費用であるが、先の一斉地方選挙に見られるように、投票率が半分を割るような状況が加速していくとすれば、「安上がりな政府」に傾くことになる。これは、富の再分配の点でいかに適切だろうか。

ことほどさように、公共性がどのような発想にもとづき、どんな仕掛けや制度が作られ、個人や集合・集団に影響を及ぼしていくのか、が問われるべきテーマとなる。もちろん、この問いは、学校教育にとっても「いろはのい」のであり、私が公教育経営という言葉を恩師から学んで我流につかっているのは、それは優れて公共性に関わっているからだ。学生にも是非、振り返り考えてほしいテーマである。

by walk41 | 2019-04-24 18:05 | ことばのこと | Comments(0)

しっかりしよう Ich muss mich noch fleissig sein

京都市内の観光地のお店で、一人の女性からをかけられた。「榊原先生ですよね。」驚いて尋ねてみると、最近大学を卒業した元学生だとわかった。なるほど。

私の授業をふたつ取ったとのことだが、「非言語コミュニケーションのことが本に書いてありましたね。」これまた驚くと、「しっかり読みましたから」と返ってきた。

こういう学生は必ずしも多くはないかもしれないけれど、記憶に残してくれる場合もある、心して授業に臨みたいと思わされたことだった。

by walk41 | 2019-04-23 08:30 | 授業のこと | Comments(0)

ひとり一票である必要はない。 Jeder kann mehr Stimmen bei der Wahl haben

一斉地方選挙も後半、こんな時期にドイツの友人から面白い話が聞けた。

彼女の住む州の限りだそうだが、市議会選挙と郡議会選挙は、複数の票を有権者それぞれが持つという。たとえば、40議席で構成される市議会の場合、驚くべきことに有権者はひとりあたり40票を持つのだと。

その40票は、支持する候補者に候補者一人に最大3票まで投票できる。もちろん、候補者ひとりに1票ずつ、40人に投じてもいいし、政党をまたいで投票することもできる。あるいは自分は20票分しか投票しない、ということも可能だ。もっとも、勢いあまってある候補者に4票以上投票してしまうと、すべてが無効になるとのこと。あるいは、この仕組みをしっかりと理解できない有権者がいることを十分踏まえなければならない、とも話していた。

ちなみに、ドイツの投票は候補者名を書くのではなく、候補者名のリストに×印をつけることが投票になるから、上の方法が可能とも言える。40票分の名前を書くことは現実的ではないもの。くわえて、投票用紙を予め受け取って、家でゆっくりと記入(投票)することもできるとのこと。誰が記したかわからない可能性がある点で、難ありかもしれないが、一つの方法ではある。

1人の有権者の投じることができる票が1票しかないことに以前から疑問を持っていたが、それを支持してくれる事例がドイツですでに長く存在していることを知って、嬉しかった。日本でもこんな仕組みがあれば、政治地図も大きく変わるのではないだろうか。



by walk41 | 2019-04-21 23:34 | ドイツのこと | Comments(0)

「人が本を焼くところ、最後には人間を焼くことになる」"Dort, wo man Bücher verbrannt, verbrannt man am Ende auch Menschen"

この言葉をの残したのが、詩人としても有名なハインリッヒ‧ハイネ(1797-1856)だとは、全く知らなかった。

デュッセルドルフ生まれのユダヤ人で、十字軍に批判的でもあり、自由主義的な政治姿勢を持っていたハイネは、反ユダヤ主義者(アンチセミティズム)や国家主義者から死んでもなお敵対視された。若きカール‧マルクス(1818-1881)とも交友があったという。

その彼が、1823年に発表した悲劇"Almansor"では、のちの1500年にスペインの町グラナダになるところで、キリスト教の司祭がイスラム教の経典コーランを燃やしたことを描いており、この有名な引用はこの作品から来ている。

そして、まさにまったく悲劇的なことに、このハイネの言葉は、作品発表の110年後、1933年にヒトラーによる独裁の時代が始まり、ハイネの作品は退廃芸術として燃やされる一方、ユダヤ人ほか夥しい人々が殺され燃やされるに至って予言となった。悲しいまでの慧眼である。

by walk41 | 2019-04-19 14:24 | ドイツのこと | Comments(0)

死語 totes Wort

次回の授業に向けた課題についての説明に、「A4用紙にて提出のこと。ワープロ可、…」と記していたら、授業後、学生が質問に来た。「ワープロって、wordのことですか。」

なるほど。もう「ワープロ」は死語なのかもしれない。ワープロ専用機もあまり見あたらないし。

変化する社会環境の中で、どのような教職でありうるか、なんて講義をしているのに、皮肉なことに自分はすっかり時代遅れの「20世紀」だった。この春、大学に入学した学生の多くは2000年生まれ。時代は確実に変わっているのだなあ。

Nach ich eine Arbeitsauftrag den Studentinnnen gezeigt habe, kam ein Student zu mir und hat mich gefragt, ob "Word Processing Maschine" "Word App" bedeutet.

Eine grosse Ueberraschung. Jetzt ist das Word "Word Processing Maschine" (in Japanisch "Warpuro") schon totes Word geworden. Das ist sogar ironisch, einerseits habe ich in der Vorlesung mit dem Thema, "wie Lehrerberuf in der wechselhaften Gesellschaft ueberleben?", andererseits halte ich so altes Wort, d.h. ich lebe noch im 20 Jahrehundert.

Sicher sind die Studentinnen, die im diesen Fruehling immatrikuriert haben fast alle im 2000 geboren. Genauso wie ist es bestimmt kein Wunder, die Gesellschaft hat sich geaendert.





by walk41 | 2019-04-18 12:31 | ことばのこと | Comments(0)

県民の歌 Lied der prefaekturen Volk

ある県の教員研修会の案内を受け取った。

会の冒頭、開会の挨拶に続き、「県民の歌」の斉唱が記されている。

なるほど、この県の人はだいたいこの歌が歌える、というのもうなづけることだ。

関西にいると、このことを当たり前など、決して思えないだろう。

by walk41 | 2019-04-17 11:06 | 音楽 | Comments(0)



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
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