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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

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つけパン再論 eingezogenes Brot mit der Suppe

学校給食で出されるカレーやシチューにパンを浸して食べる、いわゆるつけパンのことを以前、書いたことがある。

先日、学部生の授業で、文化資本としての行動様式と教職の関係について話をしたが、その際にこのつけパンのことも取り上げたのだ。知らないうちに教員個人の閾値が影響して、「正しいマナーではない」といった乱暴なことがクラスで生じているのではないか、と。そして、これに対する学生の感想は、次のようであった。

…自分も小学校の時に、給食のスープのお皿にパンを浸して食べたり、側面に残ったスープをパンで拭き取っていたら、担任の先生に「汚いからやめろ」と言われたことがある。だが、私からすると、浸たパンやつけパンをすることで、苦手なパンが食べられたり、食器をきれいにきれいにできるという考えだったので、何を汚いと言われたのかわからなかった。…

…私も小学校の時に、スープにパンをつけるなと言っている先生が実際にいたので共感した。何が正解なのか、決して1つには決まらないという考えを持てる教師になりたい。…

…自分の過去を振り返りました。うちの家では、スープ類にパンをつけて食べることはマナー違反ではなく、一緒の食事の楽しみ方でした。しかし、小学校の当時の担任の先生はとても厳しく、私ではなかったのですが、同じことをしていた子に注意しているのを見て、「あれはやっちゃいけないことなんだ」と思うようになりました。…

いかがだろう。さして根拠があるわけでもないのに、「自分の好み」をあたかも正しいかのように子どもに押し付ける「正義」を、「子どものために」と懸命に働いている教員は、少なくないのではないだろうか。

「日本の学校教育の良さ」として海外輸出されてもいると評される特別活動だけれど、それは同時に、教員の個業性が無条件に優位し、「マイウエイ」「マイルール」が跋扈する領域でもある。

食事の仕方、掃除の仕方(そもそも学校で、児童・生徒がなぜ掃除をしなければならないのか)といった、優れてプライバシーに属する事項が、乱暴にも教員(たち)に丸投げされていること、これはまさにリスクマネジメント(危機管理)として扱うべきではないだろうか。

by walk41 | 2019-06-28 11:57 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

変わらない「校内研究」 unveraenderte "Forschung in der Schule"

少し関心が遠ざかっていたのだが、改めて学校、とくに小学校で顕著な「校内研究」の様子を、各学校のHPに挙がっている資料から眺めている。

これらについて、まず一つ言うとすれば、「研究仮説」と銘打ちながら、その実はおよそそのようなものではないという状況が、今も変わらず続いていることへの驚きである。

九州のある小学校の2019年度の校内研究計画には、次のようにある。「4 研究の仮説 自分の考えを書く活動において、以下の指導の工夫を行えば、書く力を身につけ、それを相手や目的に応じて活用し、自分の考えを確かに表現できる児童が育つであろう。①多様な表現方法を身につけさせる指導の工夫 ②習得と活用のつながりを意識した単元構成の工夫」

このような論理的でない文章を書いている学校が、どのように児童に言語教育をしているのかわからないけれど、これを同義反復のおかしな文章だと思わないほどに、学校現場はルーチン化、あるいは疲弊しているのだろう。

上記文面は次のように続く。

「5 研究の内容 

(1)「わざ」(この学校では、モデル文を参考に、書くことについて学年ごとに児童が身につけるべき技法、を指す-榊原注)を習得させるための指導・モデル文の中の「わざ」を使った文章を書く活動の設定

 (2)「わざ」を活用できる指導の工夫

    ・説明的な文章を学習材にし、「わざ」を活用した文章を書く学習過程の設定

 (3)語彙拡充の工夫

    ・かくぞうタイムの見直し

    ・読書タイムの充実や読書活動の推進

 (4)常時活動と日々の言語活動の充実

    ・「ことばブック」を活用した日記指導の工夫と充実

    ・他教科において「はばたきタイム」の位置づけと充実、書く活動の設定

私の見るところ、つづめれば、「文章がちゃんと書けるように指導すれば、書けるようになるだろう」である。まあそうだろうね、「朝にごはんを食べたら、朝ご飯を食べたことになるだろう」と同じだから。同義反復である。

同義反復のスタイルを採る限り、検証のしようはない。「Aをすれば、Bになる」という形式は、ABの両者が別物であることが前提だからだ(ちなみに、この両者の距離が離れており、かつその関係が検証されれば、「いい研究」になる)。

しかも、「教員による指導」と「児童の能力の獲得」は因果関係ではなく、相関関係である。学習塾などで既習の児童がスムースに文章を書けることで、教員の指導がやりやすいこともあるのだから、上記のAが教員であることをそもそも前提にできない。なのに、「何となく」教員側が影響を及ぼすことになっている。学校はなぜこれを前提にするのか、わからないことなのに。

にもかかわらず、上記のような奇妙な文章がインターネット上に公開されているという悲劇。こうした状況を指導主事や教育委員会はどのように捉えているのだろうか。学校教育の謎である。




by walk41 | 2019-06-26 08:14 | ことばのこと | Comments(0)

「悲しいとき~」学生版 Wenn ich mich schade findet...

「いつもここから」の名作、「悲しいとき~」を学生につくってもらう。学校の経営、とくに学級づくりや場の雰囲気づくりの上で、悲しみや困難を笑いに変える力はすぐれて重要と考えるからだ。その際、自身が小・中学生だったときに、「笑い係」がなかったかと尋ねると、少なくない手が挙がった。みんな、経験しているんだなあ。

以下、紹介させてもらおう。みなさんに笑ってもらえるだろうか。

・アルバイト先でお客さんに声をかけたら、「お前、目障りやねん」って言われたとき~
・オシャレをして大学に行ったら、「え、それダサいから止めた方がいいで」と言われたとき~
・書写の授業の清写で、最後の最後に間違えたとき~
・かくれんぼをして隠れていたら、みんな他の遊びを始めていたとき~
・先生に当てられる順番を考えて予め答えを用意していたのに、前の人がふたつ答えて、わからなくなったとき~
・給食で好きなメニューを残しておいたのに、床に落としてしまったとき~
・友達をちょっと困らせようと思って、嘘泣きしていたら、先生に本気にされて、家まで電話がかかってきたとき~
・私に手を振っていると思って振り返したら、後ろの子に手を振っていたとき~
・模擬授業をしたときに、みんなの反応がなかったとき~
・楽しみに置いていたプリンがお父さんに食べられていたとき~
・授業を休んだ翌週、「先週、おらんかったん?」と友達に気づかれていなかったとわかったとき~
・せっかく早起きして、10分前から教室に座っていたのに、5分前に休講通知が来たとき~
・誕生日にあげた靴、「大切につかうね」とお礼を言われたのに、一度も履いているのを見たことがないとき~
・クラスの生徒に「明日は先生、出張です。ごめんね。」と言ったら、拍手喝采だったとき~
・板書の多い授業で、消しゴムを忘れたとき~
・先生に向かって「お母さん!」って叫んでしまったとき~
・授業中、寝てしまい、起きたときにいきなり立ち上がってしまったとき~
・アルバイトで後輩に先輩らしく注意しようとしたら、その前に「~ですよね。わかってます」と冷たく言われたとき~
・お母さんに飼っている犬の名前で呼ばれるとき~
・「英語領域やから英語できるやろ?」って言われるとき~
・めちゃ並んで延着証明書をもらったのに、先生に受け取ってもらえなかったとき~
・ディズニーランドに行ったら、キャストに男の子に間違えられたとき~
・Bluetoothにつながっていると思って電車の中で音楽を再生したら、爆音再生になってしまったとき~
・当てられないように目を合わせずにいた時に限って、先生に当てられるとき~
・iphoneの保護フィルムを張り替えたばかりなのに、画面を下に落としてしまったとき~
・遅刻しかけている友達を待っていたのに、気づかれず通り過ぎられ、自分だけが遅刻になってしまったとき~
・オフショルダーの服を着ても、肩幅があるから普通の服になるとき~
・「ねぎ無しで」って注文したのに、ねぎが入っていたとき~
・生徒に質問されて得意げに解説していたが、答えがそもそも間違っていたとき~
・電車に乗っていて、降りる一つ前の駅まで起きていたのに、寝過ごしたとき~
・授業中寝てしまい、とても時間が過ぎたなと時計を見たら、5分しか経っていなかったとき~
・せっかく苦労して揚げた天ぷらの注文をキャンセルされたとき~
・可愛いワンピースと堂々と歩いていたら、後ろのボタンが全開でシャツが丸見えだったとき~
・一番勉強をして「これ単位とったわ」と思っていたのに、受講登録をしていなかったとき~
・2時間かけて書いたレポートがデータ保存されていなかったとき~
・家のプリンタインクがなくなり、明日提出のレポートを印刷できないとき~
・いつも食べているオムライスを注文しようとしたら、ちょうど前の人の分で売り切れたとき~
・久々に料理をしようと思ったら、賞味期限が切れていたとき~
・真面目に話を聴いているのに、「起きてんの?」と言われたとき~
・バスの降車ボタンを先に押されたとき~
・授業が始まるまで10分あるから間に合うと、友達をゲームを始めたのに、いつもより早く先生が来て授業が始まったとき~
・テスト終盤に解答欄がずれていることに気づいたとき~
・体操服を忘れて体育の授業が見学になるとき~
・好きだから残していたのに、「え、要らんの? ちょうだい」と勝手に食べられたとき~
・授業中トイレに行きたいのに、真ん中の席に座っていたとき~
・お気に入りの服が後輩とかぶっていたとき~
・外国人に英語で道案内しようとしたら、日本人だったとき~
・財布をなくして出てきたけれど、中身がなかったとき~
・焦ってほぼ徹夜でで課題を仕上げた野に、提出日が1週間も先だったとき~
・頑張って掃除をしたのに、バケツをひっくり返したとき~
・授業中、ずっと手を挙げているのに、一回も当てられなかったとき~
・アルバイトで頑張って商品の良いところをたくさん説明したのに、結局買ってもらえなかったとき~
・運動会で2位だったら、1位と違って景品も褒め言葉もないとき~
・学年が変わり、昨年度同じクラスだった人に「去年、何組だった?」と尋ねられたとき~
・土曜参観日、観に来ていた保護者がうちのおかんだけだったとき~
・食堂のレジで学生証を出したつもりが、Suicaカードだったとき~
・席替えをしたのに、教卓の一番前だったとき~
・鞄の中で、シーブリーズがこぼれちゃったとき~
・頑張って勉強したのに、テストの問題に出なかったとき~
・知らない間に友達に彼氏ができていたとき~
・授業中うっかり寝てしまい起きたら、すごい量の板書があったとき~
・字が下手な先生に、字のことで怒られたとき~
・すごく丁寧にやった課題に限って、やるべき範囲を間違っていたとき~
・私の名字が読めなかったのか、テスト返却時、私だけ無言で返されたとき~
・とても時間のかかる課題をやったのに、家に忘れたとき~

「このブログを記していたのに、ファイル保存していなかったために、突然ぜんぶ消えてしまったとき~」にならずによかった。


by walk41 | 2019-06-25 11:14 | コミュニケーション | Comments(0)

「最低でも…」 mindestens...

およそ上品なことではない、愚痴である。

ある会議のことで、教育委員会の指導主事と電話で話した。事前打ち合わせをしたいと言われたので、その日程の調整をするべく話していたのだが、打ち合わせにどれくらいの時間を要するかが伝えられなかったため、こちらから尋ねると、「最低でも、1時間は」と返ってきた。

この一言で、まだお会いもしていないこの方に感じていた、私の違和感が何によるのかがわかった気がした。場面にあった発言ではないのだ。

「できれば、1時間は頂戴したいのですが」と伝えるのが、依頼する側のものの言い方ではないだろうか。「上から目線」のつもりはない。物事をスムースに進めるためには、自分の言いたいことを少なくとも始めは、いわばオブラートに包んで表現した方が交渉上、賢明だと思われるのだ。まだ、相手とのラポールはおろか、顔さえ知らない状況なのに。残念なことに、相手に「厚かましい人だなあ」と思われて、わざわざ損をすることはない。

学力論でも非認知的能力(社会情緒力)という言い方を聞くようになっているが、これをどう捉えればいいのだろうか。これからの議論になるけれど、広義のメタ認知を駆使していないのではないかと思われるケースに出合うと、こうした能力の重要性が改めてわかるように思う。

お目汚しを失礼。

by walk41 | 2019-06-24 18:34 | ことばのこと | Comments(0)

大らかな綴り lockeres Buchstabieren

スペイン語でmóvil(携帯電話)という単語を見て、今更ながら気づいた。この場合、v と b って親和性があるなって。

なぜって、英語で携帯電話は、mobile phone、"b"である。かたや、動詞になると、move と "v"になる。スペイン語では、mover と "v"のままだ。

あるいは、日本語では、「モバイル」も「ムーブメント」も多くの人は「ぶ」と発音していることだろう。「ムーヴメント」と言えなくもないが面倒くさい(テレビを「テレヴィ」と表記する人もいるけれど中途半端だ。そもそも、tele-vision なんだから、間違っているし)。

ちなみに、ドイツ語で携帯電話は、Handy、「ドイツ語化した英語」Denglisch で、英語としては伝わらない、新語である。

だから、ことばを学ぶときは、「ちょっと似てる」とか「全然違うね」とか楽しんで学ぶように、指導者は勧めたらどうだろうか。「おおよそ、そんな感じ」という大らかな態度が、学びを促すんじゃないかな。

by walk41 | 2019-06-24 10:10 | ことばのこと | Comments(2)

忌避でもあるいじめ Mobbing als Vermeidung

小学校の低学年で、自身の鼻くそをクラスメイトにつけたがる男子がいて、みんなが彼を避けていたら、保護者と学級担任との二者面談で、保護者から「うちの子どもがいじめられている」旨の発言を受けたことがある、というあるケースを学生に話したら、次の感想が返ってきた。

…授業の冒頭で先生がおっしゃった、男の子の話で「いじめって、そもそも何が基準だっけ」と考えさせられました。私がこの話を聞いて印象深く残ったのは理由があり、実際この子と全く同じような男の子に小学校3年生の時に出会ったからです。

その男子は特定の複数の女子を追いかけ回しては、鼻くそやつばをつけようとしていました。私の仲良かった友達がそのターゲットになった時、それが嫌でその子と隣同士だった席を話そうとしたら、担任の先生に怒られ、1時間が授業から学級会に変わりました。その時にも先生が、その事情を知らずに、今、クラスで男の子が避けられたりしている。机を離したりするのはいじめだとおっしゃて、子ども心にいじめって何? 私の友達も嫌なことをされているのに、と思ったことを思い出しました。…

いかが思われるだろうか。理不尽ないじめとそうとは言えないいじめ、に分ける必要があるのではないだろうか。自分に災いが及ばないように避けること、これが結果として排除になってしまうのは、自分を守ることができるという基本的人権に属することではないのだろうか。







by walk41 | 2019-06-23 09:04 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

うれしい授業後のコメント erfreulicher Kommentar fuer Dozent

大学での大人数の授業では、学生にコメントを書いてもらうようにしているが、今回、次のような感想があった。

…今日もまた1つ、自分の考えの幅が広がった授業でした。先生はどうしてこんなにも学生の視野を広げさせることが上手なのかすごく気になります。それくらい、今日もまた新しいことを得ました。それは、物事を多角的にとらえることです。ある1つのことに対していくつかの答えを用意することは最善であると今までは考えていました。ですが、そもそもある問題の体系を分解して、根本的な問いを考え直してみる必要も時にはあるのだと強く感じました。また、他の学生の意見を生で聞いて、また1つの考えの幅が広がりました。今回はすごく濃い時間でした。…

こうした経験を経て、柔軟でかつ多くの選択肢を導き出せる教員へとなっていってほしいと願う。この間まで高校生だった君が、大学生らしくなっていくワンシーンかなと、読みながら嬉しく受け止めた。

by walk41 | 2019-06-23 08:52 | 大学のこと | Comments(0)

聲の形 die stille Stimme

大今 良時の原作『聲の形』を漫画ではなく、映画で観た。

聴覚に障碍のある「硝子」と、彼女をかつていじめたものの、高校生になり自身を苛む「将也」を中心に話が進む。両者の家族、友人と登場人物が、それぞれに伝わらない聲を持ちながら日々を送っているとも観れる作品かと思う。

冒頭、転校生だった小学校6年生の硝子に対して、聞こえないことでコミュニケーションが取れず、ぎくしゃくする子どもたちによる理不尽ないじめのシーンが続く。筆談用ノートに罵詈雑言を連ねる、数ヶ月のうちに補聴器を8個も壊したのみならず、最後には彼女が装着していた補聴器を引きちぎり耳から出血させる、水をぶっかける。教科書を池に投げ捨てる、と凄まじい。

私の小学校、確か4年生の時のことを思い出す。クラスに聴覚障碍の女の子がいた。今でも名前を覚えている。彼女が補聴器を付けていたのは憶えているが、どれほど聴覚があったのかは知らない。そのクラスの男子たちが彼女にしたのは、いわゆる健常者には奇妙に聞こえる彼女の独特な話しぶりを、意地悪くも真似て笑ったということである。その男子の中に私もいた。

映画のようなえげつないことはなかったから、からかったに過ぎないと言えなくないとは思う。けれど、まったく理不尽ないじめであった、「正常」なことが当然で、そうでない人を嘲っても「正義」だという雰囲気がおそらくあったのだろう。

記憶の限り、それが長期にわたったとは思わないけれど、自分に都合良く忘れているだけかもしれない。また、短期だったから済むという話でもないだろう。申し訳のつかない残酷なことをした、私であった。

by walk41 | 2019-06-22 20:02 | 映画・ドラマ | Comments(0)

無言清掃 Putzen ohne Schwätzen

学校教育は価値の選択を必然とし、それゆえに、特定の価値を選んでいることの怖さに自覚的でありすぎることはない。にもかかわらず、このことに対する教員の無邪気さは相当だと、研修で感じる。その一つが、児童に無言清掃をさせることへのあまりに素朴な肯定的評価である。堂々とこれを主張するさまに、私は絶句する。

佐藤秀雄『学校ことはじめ事典』(小学館、1987年)にあるように、学校掃除の起こりは、掃除スタッフを手配できなかった明治の学校財政事情によるものであり、これを児童・生徒にやらせることで「教育的」というこじつけを後でしたものに過ぎない。

だから、学校での掃除は、児童・生徒に無償労働を強制するものであり、受けとめによれば、ハラスメントになりかねないほどである。学校や教育委員会は、文字通りタダで働いてくれる児童・生徒に感謝こそすれ、これに臨まないから指導の対象とするなど、もってのほかと心得るべきなのだ。

なのに、精神を集中させて掃除をさせることが望ましいという、父権主義(おせっかい)と精神主義(根拠のない根性論)が今なお横行している。最近出会ったある小学校教員に至っては、「(無言清掃に対して子どもの)抵抗があるかもしれませんが、粘り強くさせましょう。必要があれば、私も指導の応援に行きます」という書きぶりである。

「子どものために」自分はいいことをしていると思い込みが、かくも暴力的な行為を美しい実践と描かせてしまう、人間の信念の強固さに、愕然とさせられる。まさに学校残酷物語である。

by walk41 | 2019-06-21 20:28 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

教員の事務業務 Büroarbeit des Lehrers

朝日新聞 2019.6.20 学校現場、先生手いっぱい、の記事中、中学校教員の1週間の仕事の内訳があり、事務業務も48カ国・地域で日本が最長と挙げられている。

そうなのかもしれない。例えば、日本の学校にあって、ドイツの学校に無いように思われる文書を挙げると、

○学校要覧
○学級だより、学年だより
○研究発表に関わる案内、集約、事後の収録・報告
○(小学校で顕著な)通学区地域に関わる書類
○保健室だよりほか、健康診断、歯科検診などに関わる書類
○給食に関わる書類
○部活動に関わる書類

他にもきっとあると思うけれど、まずはここまで。

こう見ると、事務業務を誰に担ってもらうかという問題以前に、それらは学校の活動として受け止めるべきことなのかという疑問が生まれる。

by walk41 | 2019-06-20 14:25 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
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