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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

再再度、「研究授業」 Mal wieder "Unterrischtsforschung"

もう何度言ったかわからないが、とりわけ小・中学校での公開授業や研究授業という名の、見に来て下さいと呼びかけているにもかかわらず、やって来た参観者をまるで透明人間かのように扱い、「普段の授業」を見せるかのように演出する場は、まことに滑稽でまた愚かである。このことを、元生徒だった学生のエピソードから改めて思わされる。

曰く、「私の通っていた中学校で行われた研究授業の場合、研究授業のあるクラス以外、全員帰宅していた。研究授業のあるクラスの生徒は不平や愚痴をこぼしながらも、午後からの授業を受けた。そして、研究授業が始まると後ろにいる観察者を気にしてか、普段の授業より私語が少なくなる。授業者も理想の授業のために、普段とは異なる優しい授業をする。これは研究対象として相応しい状態なのだろうか …(中略)… 後方にぞろぞろと観察者がやってきて、授業者本来の授業はできるのだろうか。」

教員と学校につきあってあげていた生徒、お疲れさまである。これで得られることは何なのか。やったというアリバイ作り以上のものがあるのだろうか。ぜひ、関係者からの意見を聞きたい。

この学生は鋭い。このエピソードのあとをこう綴っている。「私が研究授業で最も参考にしたいのは、指導案の外にある不確実な要素に教員はどう振舞うのかである。」指導案ではなく、すでにまとめられている冊子の記述ではなく、その場だからこそ生じる偶然のあるいは創発的なものに注目すべきという見識。これならば見る意味はあるだろう。

けれど、その望みは期待薄かもしれない。なぜって、せっかくの面白い発言が生徒から出ても、「○○くん、授業に関係ないことは言わないでくれる」と初志貫徹を目指す授業者によって、予想外のことは排除されるのだから。

# by walk41 | 2020-06-22 12:23 | 授業のこと | Comments(0)

目標の追求 Die Verfolgung von Zielen

授業の後でコメントとして学生が書いてくれる、かれらが児童・生徒だったときのエピソードは、印象深いものが多い。それは往々にして、胸を痛めるものでもある。さて、次のような経験談を寄せてくれた学生がいる。

「私が小学4年生と6年生のときに担任だった先生が、給食を連続完食した日をクラスのホワイトボードに書いていた。150日に差し掛かったある日、クラスのある男の子が、給食時間中に泣き出した。訳を聞いてみると、今まで無理をして給食を食べていたのだという。担任の先生は良かれと思って作った完食記録表であるが、彼にとっては辛いものであった。」

いかがだろうか。「みんなで目標を達成することの素晴らしさを体験させる」と学級担任は考えたことだろうが、それは想定外の結果を招いたようだ。

学級は少なくともその当初、児童・生徒にとっては何のために集められたのかわからない様相を呈している。これに対して、生徒は「学級づくり」と称した、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」とスポーツチームを連想させるスローガンを思い描く、教員にとっての「美しい物語」に動員させられることになる。この物語を受け入れられる生徒にとっては、共同幻想となりえても、疑問を抱く生徒にとっては、えらいとばっちりである。逆らうことが容易ではないからだ。

こんな話に触れるに、重ねて思う。まず、教員は「みんな」とか「一緒に」とか「盛り上がる」といったフレーズと距離をとること、そして、生徒に対しては、「自分ときっと異なるだろう他者と暮らすには、超えてはいけない一線があるのだから、ほどほどのつきあいで接すること。間違っても、友達とかましてや仲間などという態度を容易にとらないこと。かつ、問題が起きたときには平和的に解決できるような関係をつくるように努めよう」というメッセージを発せられるようにあるべきだと。


# by walk41 | 2020-06-18 20:13 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

習うより慣れろ besser selbst zu lernen als von jemandem gelehrt zu werden

語学の勉強の中でしばしば言われる諺だろう。「習うより慣れろ」

改めて意味を引くと、「人に教えられるよりも、自分で経験を重ねたほうが身につく」(goo辞典)とある。教育学的に面白いなと思われるのは、ここでは「習う」は「教えられる」と同義で用いられていることだ。

「習う」は「学習」という用語の一部になっているから、学習者による主体的な行為のようにも捉えられるから、それが「教えられる」に近い表現というのは解せない。けれども、「習う」と「学ぶ」を並べると、違うなあとも感じる。

教員が児童・生徒の学びを抑制する時の決まり文句、「まだ習っていない」は「まだ教えていない」の意味である。こう見ると、「学習」という言葉は、「学ぶ」と「習う」という相反する意味を内包した、まことに不思議な構成とも言える。「教育」と「学習」が相反するだけではなく、「学習」そのものに価値の葛藤が見られることを興味深く思う。


# by walk41 | 2020-06-18 10:21 | ことばのこと | Comments(0)

「普通は…」 normalerweise...

授業にGoogle Classroomを使うようになって、良いことがいくつかある。授業レジュメの量をあまり気にせずともよいこと(紙媒体だと、こちらの印刷の負担、配布に要する時間を考えてしまう、学生も資料を管理しきれず、紙が鞄の中で溢れる、あるいは散逸する)、写真などカラーものを使うのを躊躇しなくてよいこと(白黒印刷では、写りがよろしくない)と、有り難い。

くわえて、授業後のコメントが、授業終わりの5~10分程度で書く場合よりも、はるかに良いものになっていることも嬉しい。短時間で要領よく書く学生もいるが、それは限られるし、また出席を取られているからと雑感程度をアリバイ的に書く学生もゼロではなく、こうしたものに目を通すのは消耗する。実にもったいないことである。大学教育法などでは、「ワンミニッツペーパー」と称して、学生に数分で感想文を書かせることで授業者とやりとりできる意義があると示されているが、これもテクノロジーのおかげで、今や博物館入りすべき事項だろう。

Google Classroomでは「課題」として授業後のコメントを設定することで、これまでの限り、9割の学生は提出する。電子媒体であるため、手書きよりも加筆、修正がしやすいためだろう、内容的にも豊かだし、視覚的にも美しいものが多くなる。意欲的な学生は関係資料を参照して、まとまったコメントを出してくる。これに要する時間はそれなりのものだろうが、まさに学修、良いことである。

もっとも、これを受けた側の負担も増える。紙媒体での感想文では、集めて読んでその一部をA4版用紙1枚程度に打ち込んで(あるいは音声入力して)、次の授業の導入に使うように準備するという労力だったが、Google Classroom上では学生も相当の労力を費やしているから、せめて返信はしようと数行ほどだが、全員に書いている。丁寧なことに、これに対するお礼を書いてくれる学生もいて、これには返信しないけれども。

とここまでが前段。こんな学生のコメントの中に、次のようなものがあった。

「多くの先生が口にしていた言葉の中に「普通考えればわかるでしょ。」「普通こう思うでしょ。こうするでしょ。」というフレーズが何度もあったとエピソードを披露してくれている。これだけで、教員はこうだと鬼の首を取ったように言うわけにはいかないが、教員が「普通」を盾に、つまり自分では考えないで、自身の言動を権威づけようとしている様が目に浮かぶ。まったく安直で怠惰である。

インターネット環境があればという前提は伴うものの、「普通」についてであれば、Google先生に尋ねれば済む。これを仮に基本線にするならば、わざわざ学校や大学に出かけて得なければならないのは、どんなことだろうか。それは「普通」が必ずしも「多数」ではないとか、ましてや「正解」ではないといった、認識を揺らし、ときに反転させる機会を提供することではないだろうか。そこに必要なのは、多様で異質な経験と考えを持つ人々とそれらの交通整理役である。

知識基盤社会は、知識そのものを解体し、再構成することを含み、安定した知識はとくに人文・社会系では限られるようになる。人々とモノの移動が加速しており、常に変化しつづけるからだ。こうした社会にあって、「教える」ことを問い返し、teacher ではない役割を担う新しい教職像が求められていると強く思う。



# by walk41 | 2020-06-17 09:57 | ことばのこと | Comments(0)

世界標準とは言えない「性」の了解 Leider keine gemeinsame Weltanschauung für Sexualität 

世界標準とは言えない「性」の了解 Leider keine gemeinsame Weltanschauung für Sexualität _b0250023_09100571.png

「(性の)平等に対する憎悪から-カトリック保守派の強い南東ポーランドでは、"LGBTフリーゾーン” を訴える自治体が増加。このテーマはいまや大統領選挙をも決定しかねない」と題する、Zeit online 2020.6.14付より。

LGBTほか性的少数派に対する理解が広がり、同性婚など性に関する平等が進む一方、それは決して世界的に同様ではないことが、この記事からもわかる。

記事では、レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーといった性的多様性の存在と、それらの平等を主張する考えに対して、ドイツの北東に位置するポーランド、カトリックの影響力の強い南東地域では、これらに反対する運動が顕著なことを紹介している。こうした地域では、「LGBTフリーゾーン」の設定、すなわち、自分たちのところにLGBTのイデオロギーが入ってこないことを求めるデモンストレーションを行っているのだ。

政権与党でもある、国家主義的保守党のPis(「法と正義」)は、2019年から反LBGRキャンペーンを実施、党首は「LGBTとジェンダー運動は、私たちポーランドのアイデンティティ、国家を脅かすものだ」と発言。性教育は学校ではなく、保護者が決めることだとも述べている。

この勢いに推されて、20197月には、Białystokという東部の町で行われた、性の平等を掲げるデモンストレーションに対して、警察の介入により最悪の事態は避けられたものの、数百人の右派急進派が妨害、石、瓶、花火などを投げた。事実上、流血の事態である。

「世界の性の潮流から遅れた日本」などと宣う御仁もいるが、世界は広い。残念ながらそう判断する状況にはないようである。



# by walk41 | 2020-06-15 09:41 | 身体 | Comments(0)



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
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